考えすぎてしまうから思考対象を与えてみた
人生を変えたいなら
日々の小さな選択決定を
変えていくのはどうだろう
なぜなら
人生は
日々の小さな選択決定の
積み重ねでできているから
そんな
単純すぎる思いつきが
絶望から希望を見つけた
きっかけだったかもしれない。
やみくもに
選択を変えていくのも
ちがう気がして
だったら
自分の感覚を
すべての"指針"にすることにしてみた。
だけど
まずは
自分の感覚が
なんなのかわからない。
ということで
自分の中の
"気持ちよさ"を
細かく見つめることにした。
すると
自分の核の望みをとらえる
ということができるようになり、
そして
それを思うこと=意図すること、
に繋がることがわかってきた。
意識についても深掘りしてみた。
意識すればするほど
対象物の存在感が
自分の中で大きくなること、
また
一度意識を向けると
無意識下でもそっちの方向に
自動運転で向かってくれること
そんな性質から
望みをしっかり捉えて
意図することで
自分の望む道を歩んでいける、
そんな仮説を胸に抱く。
そして
そこに"抵抗感"という
キーポイントを見つける。
いくら望みを捉えて
意図したとしても
この抵抗感が自分の中に
強くある状態だと
なかなか意識は
意図した方向に向かってくれない。
要は意識が
意図した方向に進むには
その望みに対して
肯定的、または抵抗感のないような
スッキリとした "意識状態" が
自分の内側に存在していることが必要条件、
そんなふうに考察できる。
この "意識状態" というのは
自分が信じていることだったり
信じたいことを表したもの
のような気がした。
この意識状態が
自分にとって心地いいものであれば
それはもう
幸せな状態なわけで
だったらわたしが
全力で変えていくべきものは
"現実" ではなく
自分の "意識状態" なんだろうな
と強く思うに至る。
じゃあその
"意識状態" をどうやって
変えていけばいいのか、
というのが
結局はまた "望みの抽出" であり
そこからひたすらに
意識していった結果
見事に仮説通り、
意識状態の変化が叶っていく体験を
重ねられたのだった。
そして
その実験の過程で気づいたことは
"現実" を叶えるよりも
"気分" や "意識状態" を叶えていく方が
容易いということ。
前述した "抵抗感" が
ここでもキーになっている。
"抵抗感" の特徴として
気分や意識状態よりも
現実に対しての方が
内側に湧いてきやすい感覚であること
そしてポイントは
現実を変えていく方法やルートは
いくつか頭に浮かぶけれど
気分や意識状態を変えていく方法やルートは
あまり頭に浮かばない
という点。
わたしの頭に浮かぶ
望みを叶えていく方法や
ルートというのは
大抵の場合
自分のこれまでの経験や
見聞きしてきたことから
導き出されるものであり、
逆にいうと
経験や見聞きしてきたものに
制限されたもの、とも言える。
ということは
その結果も多くの場合は
それらに制限されたもの、
要は
その枠を超えた結果を
もたらさない傾向にある、とも言える。
そして
自分の枠の中から導き出した
現実を叶える方法やルートを見て
無理だ、と結論づけて
抵抗感を内側に抱えたまま
勝手に諦めてしまうパターンが
多くある。
これが本当に
勿体無いことだと思う。
理想は
望むだけで
そのあと内側で考えることを
やめられることだけど
わたしみたいな
考えてしまいがちな性質を持った人は
[考えることをやめる]
ということが難しかったりする。
だったら
その考えてしまう、という性質を
逆手にとって
考える対象を与えてやる、
という風に転換したのが
[望みの抽出]という内側の作業だった。
気分や意識状態を
叶える方法、ルートは
もう考えたって無理、という域
(=抵抗感が出にくい状態)
に容易く到達しやすいので
[ただ望みを意図することで叶っていく]
という結果になったのだと思う。
あの頃
絶望にしか感じられなかった
自分の気質や
生まれ持った性格
もしかしたら
裏返すとそこにはいつも
姿を隠した希望が
見つかることをワクワクしながら
わたしの意識の訪れを
待っていたのかもしれない
"自分と真っ直ぐ向き合うこと" でより満たされた日々を送れるようなヒントになったらとこれまでの研究を言語化して公開を始めました ♔ 繊細で不器用で生きるのが難しい、そんなふうな私でもひたむきに今を生きてる…そんなことを表現できたらなと思ってますꪔ̤̫