①人にはいろいろな性格の一面があるから「この人はこういう性格」と一つに限定して一概に言えない【マガジンⅠ】
今日も会いに来てくれたのね。
有難うね。
じゃあ今日はね、
昨日のお話の中で少し触れたことについて
話していこうかね。
昨日のお話の最後の方で、
私はこんなことを言ってたの覚えてるかしら。
これは人にも言えることじゃないかしら。
これはね、
悪いことばかりに敏感になってしまいそうになるけれど、
良いところだってたくさんあると思うの。
この文章のすぐ後に書いた言葉だったわね。
私にはね、
嬉しいと思う時や悲しいと思うこと、
共感する部分や私とは考え方が違うなと感じる場面、
時間を忘れて没頭する時や面倒に思って後回しにしてしまうことがあるの。
そうね。
当たり前のことを言ってるわね。
私には快も不快もどちらも感じる感覚があるし、
世間的に正と呼ばれる感情も負と言われる感情も両方持ち合わせているわ。
いろいろな場面で感じるたくさんの感覚。
それに伴って表れる表情や口調の変化。
初対面で人はそれを見聞きして、
それを感じた人の感性によって、
相手を「この人はこんな人」とひとつの性格にまとめてしまう。
私はね、
この判断は危険だと思うの。
人と接する時って、
少なからず一人で居る時よりは明らかに人や環境の影響を受けるから、
自分なりのその場に合った最適解を意識するじゃない?
だから本質の素の私とは少し違った私が印象付いてしまうと思うの。
確かに私の一面ではあるけれど、
それが大元ではないのよ。
最初にお話したことに戻るのだけれど、
みんな当たり前にいろいろな状況で、
人それぞれ違った感じ方やそれを表現する手段も違うじゃない?
そもそも顔つきや声色・声のトーンだって違う。
人から発せられる多くの情報を、
かたよった見方で一つの性格に封じてしまうのは、
私はしたくないって思うのよ。
私には確かにそういう一面もあるけれどそれだけじゃないのよ。
って言いたくなっちゃう。
そこだけ強く強調されても・・・って思ってしまうのよね。
叱る時もあれば優しく教えることもあるし、
抱き締めたくなる時もあれば見守りながら頑張れって応援する時もある。
私なりの愛し方にも時と場合によって表現の仕方は変わるのよ。
だから一つに決めつけてほしくはないのよね。
これは私自身はしてほしくないことだけれども、
私以外の人もあまり気持ちがいいものではないと思うの。
一つの人格しか肯定されないということは、
他の人格はその存在すら認識されにくくなるってことでしょ?
それは・・・私は淋しいと思ってしまう。
一つに括ってしまえば確かに楽ね。
その人への自分なりの対処法が明確になるもの。
でも忘れないでほしいの。
その人にも今表に出ていないたくさんの顔があるってことをね。
人は同じものを見聞きしても、
受け取り方や感じ方は全く違うものなのよ。
あくまで私はおすすめしないというだけで、
これを見ているあなたがどう思い、
どうするのかはもちろん自由よ。
私も今でこそゆっくりこういうことを考えられるようになったけど、
若い頃は今自分が何も考えずにどう考えてしまっているかなんて、
じっくり改まって考える余裕なんてなかったもの。
これを見てくれたあなたが、
その機会としてくれるなら、
これを書いたことが喜びとなるってものさね。
さて、今日のお話はここまで。
怒りっぽくて怖い人って思ってしまっている人も、
好きな人や可愛いものの前では顔が緩んでるものよ。
そう考えると少しは今までと違った関わり方が見えてこないかしら?
いきなり好感を持つことは難しくとも、
可愛らしいと思える一面も必ずあるはずよ。
人間関係がうまくいかないと感じる時は、
人への見方を変えてみるのもいいんじゃないかしら。
じゃあ、また寄ってってね。
今日は来てくれて有難うね。
続きのお話はこちらに。
お時間ございましたら是非お読みください。