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⑤発する言葉にはそれだけでは表しきれない想いが込められてる【マガジンⅠ】

今日も会いに来てくれたのね。
有難うね。

じゃあ今日は珍しく、
一昨日のお話の中で少し触れたことについて話していこうかね。

このお話の最後に、
私がこんなことを言ってたの覚えてるかしら。

言葉の裏側にある伝えたい想いは何か。

言葉ってね、
それそのもの以上の意味を持ってると私は思うの。



一概に言葉といっても、
いろいろな表し方があるわね。

発語ひとつと取っても、
世界で使われている言語の数だけ単語があって。

英語で「I・My・Me」でほぼ事足りる一人称でも、
日本語ではわたし・あたし・わがはい・われ・ぼく・おれなど、
指し示す呼び方が数多くあるわ。

他にも同じ言い方なのに発音や使い方で意味が異なる言葉もあるわね。
「こい」なら恋・故意・濃い・鯉・来い、
調べてみたけど英語でもcoiという意味のある言葉があるみたい。

使うのは簡単。
でも使いこなすのが難しい。

言葉ってそういうものだと思うの。

表し方がたくさんあるからって、
適材適所で使えばいいって思うじゃない?
私もそう思っていたのよ。

でもね、
言葉に乗せる感情やイメージが、
人によって全然違うの。



ではね、
「あなたの好きな青ってどんな色合いか教えてちょうだい」
と言われたらどう答えるかしら?

私はね、
エメラルドグリーンやターコイズのような碧翠が好きなのだけれど、
頭に思い描いた色そのままを言葉で伝えるってとても難しいことだと
私は思うの。

あなたの思い浮かべるエメラルドグリーンやターコイズと、
私の思い浮かべるエメラルドグリーンやターコイズは、
果たして全く同じ色かしら。

色や匂い、想いや感覚、季節や物であっても、
その人が切り取って想像するイメージは必ず違うものになると思うの。

もちろん大体は似通ったものを想像すると思うわ。
だから大した問題はないと思うじゃない?

それは
単語だからなの。

じゃあね、
単語が何個も並んだ文章や会話となると、
ひとつひとつの単語のイメージのズレって
果たして問題じゃないと言えるかしら。




このお話の時に挙げた例をそのまま使って更に深くお話してみましょうね。

一緒に見たものが同じなら、
イメージが合いやすいと思うわよね。

でもね、
ついさっきの事だったとしても、
その場その時じゃなく
記憶を呼び起こした時点で違いは起こると私は思うの。

記憶ってもう事実100%ではないのよ。

事実+個の性格や感受性でどう受け止めたか
=「記憶」として保存


記憶ってもうその人の先入観が入ったものになっていて、
事実全体じゃなくて、
自分なりの見方で受け取った
事実の一部分でしかないと思うの。

だから必ずズレるものだと私は思っているの。

ましてやそこにどれだけの気持ちの強さや重みがあるのかなんて、
とてもじゃないけど一度聞いただけじゃわからないわ。


また会話であれば、
そこに言葉の強弱や表情なんかの言葉以外の、
読み取れる要素が他にもあるじゃない?

そのひとつひとつの情報も
見る人聞く人によって受け止め方が違うから、
どんどんズレが重なっていく。


これが文章だと、
絵文字や顔文字や字体が、
言ってる人の感情を正しく表しているものなのかわからない。
私が使っているこの言葉でさえも、
私がどれだけ心を込めて、
どれだけ時間をかけて書いてるか、
なぜそれだけの時間をかけてまで書いているか、
きっと私でさえも深く細やかに自分をわかってはいないと思う。

言葉を扱っている私自身でさえも、
自分が想っていることを全部この表現で表しきれているかわからないの。

だから私はね、
わかりたいけど、
わかってあげたいんだけれども、
人に「わかった」って軽々しく言わないようにしてるわ。

今の私なりにはわかったよ


って言うようにしているの。


わかるっておこがましくて言えない。

使うのは簡単。
でも使いこなすのが難しい。

たぶん私には一生、
私のことを人に100%伝えられることはないと思ってるわ。

でもね、

だからってわかろうとする努力は放棄したくないの。


私がこれまでのお話で何を話したかったかというとね、
何度か言ってきたことなんだけれども、

確認するって
世間様が思うよりとっても大切

ってこと。

言葉は心を未熟に表したもの。
それを、
決して判断するんじゃなくて、

相手のその場その時の心境や在り方に
なってみて受け止めること


これをしなければ相手の心にはちゃんと寄り添えないと思うの。

ドラマや映画、今の子ならアニメや漫画なんかでよくする
「感情移入」ってのを、
日常で目の前の人にしてあげられるようになると、
人にも、
自分にも優しくなれる人になれるって、
私は思うの。

私もまだまだできないことも多いから、
偉そうなこと言えないんだけれどもね。

でも、
私は寄り添い続けたいと思うわ。
諦めたくないの。
理解すること。

相手を。
そして
忘れてしまいがちだけど
一番身近な
自分自身のことも、ね。


ごめんなさいね。
また長くなってしまったわ。

このお話で一旦一区切りとするわ。
年を取るとダメね。
話し始めたら止まらないんだもの。
こんな私の話でよかったら、
また寄ってくださいな。


今日は来てくれて有難うね。
また会いましょうね。



続きのお話はこちらに。
お時間ございましたら是非お読みください。


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想流(そうる)
私の為に使わせていただくというよりは、 身の周りで助けてくれる人へのお礼として使わせていただきたいと考えてます。 せっかく私の為にご用意くださったものなのにごめんなさいね。 私は余生を、出来る限りの有難うを伝えて過ごしていきたいの。 気持ちを汲んでいただけると嬉しいです。