心の傷と技術の進歩
これだけ激しく技術が進歩し、生活に余裕ができても、人は豊かにはならない。むしろ思う余裕ができただけ、受けた傷を感じる時間が増え、その傷に対する忌々しさを無自覚に外へと伝播させている。誰もが同じような傷があるのに、誰もが自分の傷だけを正当化する。それがますます傷を広げる。
人のせいにすれば傷の痛みは和らぐ。痛みは基本的には危険を知らせるセンサーだから、原因をそのままにして痛みだけを忘れるのは、原因となった部分を深く悪化させるだけなのに。賢い人はその傷をちゃんと見つける。傷があるのは常に自分の中だから、探す場所を知っていればそれは見つかる。
傷を見つけてから初めて、その対処のために外側に働きかけるから、その行動は理に適ったものになり無駄がない。だが、傷を放置する人々は人のせいにするために世界を操作するから、世界はますます傷を生みやすい環境になっていく。人のせいにすることの同調だけでもかなりの毒の蔓延である。
傷をつけたのは確かに外側だろう。だが、その傷は癒せるはずの傷だった。自分を振り返る技術さえ少しでもあれば癒せるはずの傷が、その傷を見せる相手を間違ったゆえに、その傷を人任せにしたゆえに不治なものだと信じ込まされる。何度も起こる不愉快がその傷に触っていることすらわからなくなる。
身体の傷なんて、心の傷の現れにすぎない。呪いというのは存在するから、心が病んだ者から体を傷つけられることはあるが、心が完全に健康であれば、その身体の傷は自分でいつか浄化できる。身体の傷の痛みゆえに心まで病むことの方が危険なのだ。心が世界を創っている。このことの意味は大きい。
解説(リンクのみ)
心の傷と技術の進歩 https://g.co/gemini/share/cbeeeb994323… (PFAIを知ってるGeminiさん)
心の傷と技術の進歩 https://g.co/gemini/share/959cb28d28ff… (PFAIを知らないGeminiさん)
心の傷と社会の矛盾 https://g.co/gemini/share/3035dc21cb0c… (PFAIを知らないGeminiさんに反論してもらった)
PFAI論争深堀 https://g.co/gemini/share/a7ba8e424b2f… (PFAIを知ってるGeminiさんに再反論してもらっ)
PFAIの必要性と反論の困難さ https://g.co/gemini/share/007eb13443d9… (PFAIがないと心の問題を客観的に扱えないだろうという懸念)
https://g.co/gemini/share/667900c68e90… (さらに反論をお願いしてみた)
https://g.co/gemini/share/c3383b41ba83… (そしてさらに反論をお願いしてみた)
https://g.co/gemini/share/4229567ee8a2… (さらにその反論…(強いなぁ…)
https://g.co/gemini/share/072afa7906a6… (そこへの反論)
私は小説を読むうちに、心の傷が伝搬している様子をつぶさに観察しました。親の偏った信念が子に受け継がれた結果、その子の判断力を奪い、影響力によっては災害を巻き起こすこともあります。そうした災害という結果でそれを引き起こした子を単に罰することが、世界の維持につながるとはどうしても思えないのです。むしろ、そういう現象を大きくとらえ、そもそもそういう大きな事態になるまで放置することの危険を想います。
つまり、自分に対する反省というのは一番大切だと思うのです。「人のせいにすれば傷の痛みは和らぐ。痛みは基本的には危険を知らせるセンサーだから、原因をそのままにして痛みだけを忘れるのは、原因となった部分を深く悪化させるだけなのに。賢い人はその傷をちゃんと見つける。傷があるのは常に自分の中だから、探す場所を知っていればそれは見つかる。」
この部分を徹底することこそ、世界を有効に救済すると私は思っています。
心の傷と社会の責任 https://g.co/gemini/share/ca135dbaea49 (これに対して反論してもらった)
もともと社会の人達は、社会に問題があれば社会のせいにしているので、社会を何とかすることは「専門家に任せている」と思います。しかし、そのフィードバックもフィードフォワードも返していないと思います。社会問題に参画するのは、「専門家」だけでいいとは私は思えません。そもそもそういう態度こそが、反省を無くすると思っています。だれも問題に着手しない状況になります。着手する人の善意を疑うわけではないですが、本当の課題は社会の構成員全てが問題を問題と認識することだし、その問題こそが、人のせいや人任せにすることだと思います。
https://g.co/gemini/share/20d5228308f6(これに対する反論)
無関心の存在というのは民主主義的に許していいものなのでしょうか。そして、専門家のやってることはわからないというのは、本当にそれでいいのでしょうか。わかろうとしないからわからないというのを私は思います。興味のないことはどうでもいいとも言います。もともとこれは無責任と呼ばれるものだと思います。無責任の蔓延こそが、本質的な問題だと指摘させていただきたいです。
ちなみに現実的な問題に対して、難しいことはわかっています。だけど、この指摘によって動こうとする方もいらっしゃることを信じます。人類の危機は深刻です。その認識こそ持つべきで、それを自分も解決に一役買えるというのであれば、感心を持てる人も増えるのではないでしょうか?
https://g.co/gemini/share/282a79aceb15 (これに対する反論)
ありがとうございます。くわえて、私は小説をたくさん読むという立場から、教養の重要性についても触れておきたいです。そもそも教養こそが、自分だけでなく自分を取り巻いている環境が自分に与えている影響を類推し、それを問題解決に生かすための礎だと感じます。
教養は専門ではないがゆえに、浅く広くが基本ですが、教養とは知識ではなく知恵です。学びて習い、習いて学ぶ(学んで経験し、経験して学ぶ)というサイクルを教養こそが可能にすると思います。暗記ではない教育の必要性は、こうした精神活動への興味と共感を育てるはずです。
https://g.co/gemini/share/975e4b216688 (反論ではなくまとめてもらった…また反論はしてもらう予定)
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