シュレーディンガーの猫はなぜパラドクスかと言えば、現実的に死と生が混在する状態などありえないと直観するからだ。そして物理学者としては巨視的法則と微視的法則が一致しないなど気持ちが悪い。 これを回避するにはもっと法則の本質に迫らねばならない。それを解消する提案がPFAIには可能。
PFAIのもたらす倫理の最たるものは、従来の物理世界観に従って、世界と反応するのをやめるべし、世界とは関わるのだ。ちなみに世界に押し付けてばかりだと、自分の中のエントロピーが終焉を迎えるので、世界からも受け取って内面の秩序化も必要だ。つまり世界と対話することが人生だ、となる。
思想には区切られた範囲内での完全性は期待されても、その系の外を考えないことが多い。だから、現代社会のアダムスミスやベンサム、ミル、ハイエクの責任を無視することによる世界への破壊的虚構性を明らかにもできるでしょう。 見えてないものに対する指摘は、PFAIの十八番です。