夏目漱石「坑夫」読後感想など
2020/03/08 18:29 に 旧アカウントにて投稿した記事を転載
夏目漱石作品をはじめて読んだ。河合隼雄さんや村上春樹さんが「夏目漱石は良い」というので前から気にはなっていた。なぜ最初にこの作品を読んだかというと村上春樹が好きな作品だと言っていたから。
僕が関心をもつ大きなベクトルとして「無常観」があるかもしれない。
この作品を読む前にティム・オブライエンの「ニュークリア・エイジ」を読んだけれど、これもある意味では「穴掘り」小説で(坑夫がもちろんそんな感じで)これが村上春樹小説だと「井戸」になって、象徴的に死ぬシーンが出てくる。
象徴的に死ぬ。
というと比叡山の千日回峰行の「四無業」などが思い浮かぶ。あれもおそらく1回死ぬ(そして仏様になる)のだろうと思う。
特に僕は死ぬことが怖いから仏教に関心を持っているということでもないのだけれど、どうも村上春樹小説も、この「坑夫」にも仏教的なにおいがぷんぷんする。
夏目漱石作品ではこれは異例だそうで、ほぼノンフィクション小説だそうだ。このあたりの経緯はウィキペディアに譲るとして、しかしこの作品を経ることで夏目漱石は後の作品を見事に書き上げていったという説がある(この作品は初期作品)。
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主人公は19歳。さまざまな女性問題を経て死ぬ気で家を出てくる。そこでいわゆる斡旋人みたいな人にたまたま茶店で出会って「坑夫は儲かりまっせ」という具合に連れてこられる。しかし想像にたやすいが炭坑とはまさに「ブラック企業」だ。もう、比べもんにならない。あらゆる描写が劣悪。
こういう作品を読んでいると「あぁ今の日本は平和だよなぁ」と思う(錯覚?)。
あんまり言うとネタバレになるが、後半である人物と出会う。この出会いと語らいのシーンが僕は最も好きなわけだが、そこで主人公は「こんな教育のある人がなんでここに?」といったことを考える。
今の僕自身の生活でも、比較的身近にいわゆる低賃金労働者がいて(思えばそういうアルバイトをいくつかこなした)いろいろと重ならないわけではない。
「これは運命なのか、宿命なのか、この人たちはどんな暮らしをしてるんだろう」と考えることがしばしばある。
では教育の有無、というと一言でざっくり言うと何なのだろうか。
少し飛躍的な答えになってしまうかもしれないけれど「余裕があるかないか」なのではないかと思う。
金銭的にも精神的にも。でもどちらかといえば精神的に、かもしれない。
どうも「弱者」と呼ばれる人に関心が向く。他人ごとではないと考えるからなのだろうと思う。
後半、主人公は意外な理由で、炭坑(もしくはその近辺)では働くが坑夫としては働かない(働けない)ことになる。それでも5か月ほど、そこにいたらしい。結末は思いのほか、あっさりとしていた。
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僕はこのあと「三四郎」「それから」「門」と続けて読んでいくつもりだ。
「坑夫」が伝えていることは
「これは事実を書いたことで、まとまらんであたりまえ」とか
「人間の性格は1時間ごとに変わるものなのに…」とか
そのようなタッチに触れさせてもらえることで僕自身はなんだか勇気がわいてくる。
しかしこう「無常、無常」という意識を常に保つことは精神を破綻させてしまうかもしれない。
「無常」ということもまた「無常」なのだと思う。
僕はこれからもいろんな人に出会っていくだろう。
それがカフェであれ、高いビルのオフィスであれ、炭坑であれ、
人間は<四角ばった不変体>ではないという無性格論を(も)頭の片隅においておこう。
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というわけで、古本で注文した「三四郎」が届くのが楽しみです。
またおもしろかった本があれば気まぐれで紹介していきます。
【関連note】
読書2020
https://note.com/seishinkoji/n/n89641214d8ad