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旅について

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#Rolleiflex

Mannheim

先週に続き、今週はMannheim(マンハイム)へ行ってきました。 目的はこの街で開催されている写真家、August Sander、Albert Renger-Patzsch、およびRobert Häusserの特別展です。この街にはReiss-Engelhornの名が冠されたミュージアムコンプレックス(rem)があるのですが、そのうちの一つでこの特別展が開催されているということを知り、足を向けました。 ところが、何ということか、当該美術館は、ドイツではよく見かける「Te

Opelvillen Rüsselsheim

フランクフルト中央駅からS-Bahnと呼ばれる近郊列車に乗り、約25分ほど西へ行ったところにリュッセルスハイム(Rüsselsheim)という街があります。そして更にこの駅から北東へ向かい15分ほど歩いた場所にOpelwerke(オペル、ドイツの自動車メーカー)の名が冠せられた邸宅が2軒建っています。創業者の息子であるFritz Opel(1875-1938)が当時Villa Wenskeと呼ばれていた邸宅を購入した後、その隣にもう1件邸宅を建て1938年に死去するまで住んで

カレル橋を渡る

前回の投稿に「今回の旅では、初めてヴルタヴァ川右岸に宿泊した」と書きましたが、そのホテルはカレル橋(Karlův most)から徒歩3分ほどの場所に位置していました。その結果、滞在期間中は毎日カレル橋やその北と南に横たわる橋を渡ることになりました。訪れたい場所が反対岸(旧市街側)にあったからですが、それよりも欠かせない理由は、美味しいパン屋さんが左岸にあったからです。毎日夕方になると橋を渡り、夕食のパンを買いに行っていたのです。 ドイツにはAbendbrot(パン中心の簡単

ヴルタヴァ川左岸

今日はヴルタヴァ川左岸、Malá StranaとHradčanyと呼ばれるで撮影した写真を投稿します。

長いお別れ

製造中止前に買いためておいたPRO400H。そのフィルムの箱から3本抜き取り、Rolleiflexとともにプラハへ持参しました。そういえば、春の終わり、買ったばかりのRolleiflexにPRO400Hを装填して向かった先もやはりプラハだったなあと懐かしく思い出しました。それから15年。再びRolleiflexとプラハで撮った写真を、今回は投稿しようと思います。 白黒写真かカラー写真かと問われれば、私は白黒の写真集を好んで見ますし、自分で撮る写真も圧倒的に白黒が多いのです。

静かなプラハを旅する

欧州の冬休み。国によって事情は異なると思いますが、少なからずの国、特にカトリックが優勢な国では1月6日まで続くところが多いようです。この6日は、例えば英語ではEpiphanyと言う公現の祝日で、キリストの誕生を祝うためにMagiと呼ばれる東方の三博士がベツレヘムを訪れたことを祝う日なのです。 数年前、年始から1月7日までヴェニスに滞在したことがあります。この時、1月5日までは観光客であふれており狭い道を立ち止まらずに真っ直ぐ歩くことが出来なかったヴェニスが、1月6日には驚く

最後の1コマ

現在は専ら白黒フィルムを用いて写真を撮影している私ですが、約15年前に写真を撮り始めた頃はその殆どをカラーフィルムで撮影していました。当時一番のお気に入りだったのはPRO400Hというフィルム。もう何年も前に製造中止になってしまったフィルムですが、実はまだ手元に少し残っています。製造中止が決まった時にまとめ買いして大切に大切に使っていたのですが、最近期限が切れて1年経過したことに気づいたので、劣化してしまう前に使い切ってしまうことにしました。早速、先週のコーブルク(Cobur

Rolleiflexで夜を撮る

先週、バイエルン州北部フランケン地方にある小さな街、コーブルク(Coburg)へ行ってきました。小さいと言っても歴史ある街で、その名は11世紀に史料に登場します。16世紀から17世紀にかけてはザクセン=コーブルク侯国(Fürstentum  Sachsen-Coburg)がここに拠点を置きます。更に19世紀にはザクセン=ゴータと同君連合を組み、ザクセン・コーブルク=ゴータ公国(Herzogtums Sachsen-Coburg und Gotha)となります。そして、この公

ポー平原に広がる都市

Padova Verona  Vicenza Modena Parma

自転車が走る街

イタリア文学者・河島英昭はこのように書いています。これはイタリアでは案外珍しいことなのではないでしょうか。例えば、夫の親戚がいるため頻繁に訪れるフィレンツェでは、自転車より圧倒的にバイクのほうが優勢のように思います。 河島英昭がフェッラーラを訪れたのは約20年ほど前のことですが、今でもその時と変わらず自転車はたくさん走っていました。私が撮った写真にも、自転車が山のように写り込んでいます。 少々驚いたのは、旧ゲットーの道路脇にキーチェーンもなく無造作に置かれた自転車があった

愛と憎しみのフェッラーラ

愛と憎しみのフェッラーラ。 これはイタリア文学者でウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の訳者でもある河島英昭(1933-2018年)のエッセイのタイトルです。このエッセイに惹かれた私は、夫を誘い、秋の終わりにエッセイの舞台である北イタリアの街・フェッラーラを訪れました。 河島英昭はこの『愛と憎しみのフェッラーラ』というエッセイにおいて、この街のゲットーに触れ、次いで作家として名を馳せたジョルジョ・バッサーニ(1916-2000年)という代々フェッラーラに住み続けてきたユダヤ人

Rolleiflex、故郷に帰る

ドイツという国に関しては疎くても、Rolleiの二眼レフを持っている方ならブラウンシュヴァイク(Braunschweig)という地名には聞き覚えがあるのではないでしょうか。1927年、この地でRolleiflexのプロトタイプが完成しました。私の手元にあるRolleiflex Original(1929年)の前面プレートには、Franke & Heidecke Braunschweigと誇らしげに刻まれています。 ある時、Rolleiの二眼レフの歴史について書かれた本を読み

Xenotar、Kreuznachへ行く

新たにLeicaを買うたびにその都度それをWetzlarへ持って行き、Rolleiflex Standardのレンズ・TessarをJenaに里帰りさせ、Rolleiflex 2.8F PlanarをBraunschweigのかつてのFranke & Heidecke社屋の前に立たせたように、Rolleiflex 2.8F XenotarをKreuznachに連れて行ったことがあります。今日はその件について書こうと思います。 クロイツナッハKreuznach、正しくはBad

Aschaffenburg

今年は9月以降もなかなか気温が下がらなかった中部ドイツ。しかし、先週末ひと雨降って最高気温が一気に10℃以上下りました。今週末からいよいよ秋らしく雨天が続く予報が出たため、一昨日の晴天が広がった日に日帰り旅行に出かけました。行き先はアシャッフェンブルク(Aschaffenburug)。バイエルン州に属する街です。 アシャッフェンブルクと言えば、ドイツ中部独特の薔薇色をした石で建てられた壮麗な城(Schloss Johannisburg)。内部は美術館になっています。実はこの