マガジンのカバー画像

旅について

14
運営しているクリエイター

記事一覧

自転車が走る街

イタリア文学者・河島英昭はこのように書いています。これはイタリアでは案外珍しいことなのではないでしょうか。例えば、夫の親戚がいるため頻繁に訪れるフィレンツェでは、自転車より圧倒的にバイクのほうが優勢のように思います。 河島英昭がフェッラーラを訪れたのは約20年ほど前のことですが、今でもその時と変わらず自転車はたくさん走っていました。私が撮った写真にも、自転車が山のように写り込んでいます。 少々驚いたのは、旧ゲットーの道路脇にキーチェーンもなく無造作に置かれた自転車があった

愛と憎しみのフェッラーラ

愛と憎しみのフェッラーラ。 これはイタリア文学者でウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の訳者でもある河島英昭(1933-2018年)のエッセイのタイトルです。このエッセイに惹かれた私は、夫を誘い、秋の終わりにエッセイの舞台である北イタリアの街・フェッラーラを訪れました。 河島英昭はこの『愛と憎しみのフェッラーラ』というエッセイにおいて、この街のゲットーに触れ、次いで作家として名を馳せたジョルジョ・バッサーニ(1916-2000年)という代々フェッラーラに住み続けてきたユダヤ人

Rolleiflex、故郷に帰る

ドイツという国に関しては疎くても、Rolleiの二眼レフを持っている方ならブラウンシュヴァイク(Braunschweig)という地名には聞き覚えがあるのではないでしょうか。1927年、この地でRolleiflexのプロトタイプが完成しました。私の手元にあるRolleiflex Original(1929年)の前面プレートには、Franke & Heidecke Braunschweigと誇らしげに刻まれています。 ある時、Rolleiの二眼レフの歴史について書かれた本を読み

Xenotar、Kreuznachへ行く

新たにLeicaを買うたびにその都度それをWetzlarへ持って行き、Rolleiflex Standardのレンズ・TessarをJenaに里帰りさせ、Rolleiflex 2.8F PlanarをBraunschweigのかつてのFranke & Heidecke社屋の前に立たせたように、Rolleiflex 2.8F XenotarをKreuznachに連れて行ったことがあります。今日はその件について書こうと思います。 クロイツナッハKreuznach、正しくはBad

プラハでFlexaretを買う

1. プラハ今年(2019年)2月、週末を利用してプラハに行くことになりました。 東京にいた頃は、仕事の合間を縫い、年に2回、3回と、たとえ数日間の短い休暇でも長時間飛行の労を惜しまず頻繁に訪れていたプラハ。それほど熱を上げていたプラハですが、ドイツに移住して以来、とんとご無沙汰していました。今回のプラハは、なんと、10年ぶり。ドイツに移住して以来、時間に余裕を持って旅行することができるようになったので、例えばピレネー山中の町とか、グレートブリテン島の最北端とか、たっぷり時間

クアトロ・ラガッツィ

毎年2回は会いに行く夫の叔母。彼女はフィレンツェに住んでいます。今回も春に引き続き彼女に会うため彼の地へ赴き、その後ヴィチェンツァを回って帰ってきました。 世界に名だたる有名かつゴージャスな都市が国内にズラリと揃うイタリア。そのイタリアにあってはヴィチェンツァは目立たない地方都市ということになるのかもしれません。その名を初めて聞くという方も少なくないと思います。しかし、この都市には他にはない目玉があります。欧州史上最初期の職業建築家の一人とみなされているアンドレア・パラディ

プラハで再びFlexaretを買う

1. Flexaret VI型を手放して後悔する 11月の終わり。実に4年ぶりにプラハへ行ってきました。今回は、そこでチェコスロバキア製のカメラ、Flexaretを買ったことについて書こうと思います。実はこのカメラ、4年前にも一度購入しているのですが、結局使いこなせなくて一度手放しています(その辺りの詳しい経緯については、以下の投稿をご覧ください)。 この投稿にも書きましたが、手放した後にFlexaretで撮った写真を改めて見たらて、けっこう良い写真が沢山あることに気付き

Josef Sudekのアトリエ

写真に興味を持っている方なら、一度はその名前を聞いたことがあるに違いないチェコの写真家がいます。その名はJosef Sudek。 彼がかつて住んでいた住居と、アトリエとして使われていた小屋は修復され、現在、それぞれ小さな写真美術館として公開されています。今回の旅ではそこへ行ってきました。住居(現・ギャラリー)へ行った時は開放値4.5という暗いレンズが搭載されたFlexaretを持っていたため、暗い屋内の写真を撮ることはできませんでしたが、窓が大きなアトリエはLeica M2

秋の終わりのプラハ

Jaromír FunkeにJosef Sudek、Jan Reichなど、チェコの写真家の大判カメラを使った写真の印象が強いプラハ。さすがに大判カメラは扱えませんが、私もできる限り大きなフォーマットで写真を撮りたいと考え、今までプラハへ行く時は常に中判カメラを持って行っていました。しかし、今回は気分を変えて35mmで撮ってみることにしました。今日ここに投稿した写真は、全てLeica M2とSummaron 35mm F2.8で撮影したものです。冬の中欧はプラハに限らず天気が

Leicaで撮るヴェッツラー

Leitz-Park Ernst Leitz Hotel Ernst Leitz Museum

Weimar

今日、ふとしたことで手にしたCandida Höferの写真集『Weimar』。彼女の写真集は何冊か持っていますが、各国の図書館の写真を集めた『Library』と並び、この『Weimar』は一番好きな写真集です。何度も見返しているので、既にカバーがヨレヨレ。 2件目の写真は、この写真集に収められている『Goethe-Nationalmuseum Weimar II』という写真です。この写真を見て私はどうしてもこの場所へ行きたくなり、何年か前にWeimarまで足を伸ばしたこと

Tessar、Jenaへ帰る

2016年の夏、夫の出張についてイェーナ(Jena)へ行くことになりました。 イェーナといえば、Carl Zeiss。私のRolleiflex Standard、テイクレンズの周縁にはくっきりとCarl Zeiss Jenaと刻印されています。約80年前に製造されたカメラとはいえ、この私のRolleiflex Standard、よく出来たカメラで、古いカメラにありがちなコマの重なりというトラブルもなく、どんなフィルムを使用したとしても、きちんと、しかもかなり均等にコマ間が出

Tübingen

今日はチュービンゲン(Tübingen)の写真を投稿します。仕事がある夫をシュトゥットガルト(Stuttgart)に残し、10年前の夏、一人で出かけた街です。写真はで全てRolleiflex 2.8FとPRO400Hで撮影しました。 チュービンゲンには1477年に創設された古い大学があり、その昔、私の古い友人がこの大学に留学していました。 「チュービンゲンってどんなところ?」 「すごい田舎だよ。けっこう方言がきつくて、大変だった」 かつてそんな言葉を交わしたことを、シュトゥ

仁義なき戦い

ウィーンのCafé SperlにはHausordnungなるものがあります。Hausordnungという単語は「施設利用規則」とでも訳せば良いでしょうか。旅行前、「ウィーンでは久しぶりにCafé Sperlへ行こう」と話している時に、夫がCafé SperlのHPでこのHausordnungを見つけました。 「Café Sperlでは昼の12時以降、座席でのラップトップ使用は禁止なんだって!」 その後、私たちは滞在期間中、毎日Café Sperlで昼食を食べることになるので