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ドイツを歩いています。

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自転車が走る街

イタリア文学者・河島英昭はこのように書いています。これはイタリアでは案外珍しいことなのではないでしょうか。例えば、夫の親戚がいるため頻繁に訪れるフィレンツェでは、自転車より圧倒的にバイクのほうが優勢のように思います。 河島英昭がフェッラーラを訪れたのは約20年ほど前のことですが、今でもその時と変わらず自転車はたくさん走っていました。私が撮った写真にも、自転車が山のように写り込んでいます。 少々驚いたのは、旧ゲットーの道路脇にキーチェーンもなく無造作に置かれた自転車があった

    • 愛と憎しみのフェッラーラ

      愛と憎しみのフェッラーラ。 これはイタリア文学者でウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の訳者でもある河島英昭(1933-2018年)のエッセイのタイトルです。このエッセイに惹かれた私は、夫を誘い、秋の終わりにエッセイの舞台である北イタリアの街・フェッラーラを訪れました。 河島英昭はこの『愛と憎しみのフェッラーラ』というエッセイにおいて、この街のゲットーに触れ、次いで作家として名を馳せたジョルジョ・バッサーニ(1916-2000年)という代々フェッラーラに住み続けてきたユダヤ人

      • 仁義なき戦い

        ウィーンのCafé SperlにはHausordnungなるものがあります。Hausordnungという単語は「施設利用規則」とでも訳せば良いでしょうか。旅行前、「ウィーンでは久しぶりにCafé Sperlへ行こう」と話している時に、夫がCafé SperlのHPでこのHausordnungを見つけました。 「Café Sperlでは昼の12時以降、座席でのラップトップ使用は禁止なんだって!」 その後、私たちは滞在期間中、毎日Café Sperlで昼食を食べることになるので

        • Tübingen

          今日はチュービンゲン(Tübingen)の写真を投稿します。仕事がある夫をシュトゥットガルト(Stuttgart)に残し、10年前の夏、一人で出かけた街です。写真はで全てRolleiflex 2.8FとPRO400Hで撮影しました。 チュービンゲンには1477年に創設された古い大学があり、その昔、私の古い友人がこの大学に留学していました。 「チュービンゲンってどんなところ?」 「すごい田舎だよ。けっこう方言がきつくて、大変だった」 かつてそんな言葉を交わしたことを、シュトゥ

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        記事

          ドイツのクロワッサン

          ドイツのパンというと、私の頭に真っ先に思い浮かぶのが黒パンです。様々な種類の麦の粉の配分を変えたり精製の度合いを変えたりして焼かれるパンは、実に色合いが豊かで見ていてあきません。味も食感もそれぞれ微妙に異なります。概して、私はドイツのパンは非常に美味しいと思うのですが、それでも一つ、移住当初は納得がいかなかったパンがありました。それはタイトルにもある通り、「クロワッサン」と名付けられたパン。以下は、そのドイツのクロワッサンについて、2020年4月にブログに書いた記事です。

          ドイツのクロワッサン

          西ドイツの友だち

          国際文通クラブ 私が中学生の頃、課外活動は2種類ありました。すなわち、授業時間内に組み込まれている「クラブ」と、主に放課後活動する「部活動」です。部活動は原則3年間継続で任意参加。私はテニス部に所属しました。一方、「クラブ」のほうは必修で毎年4月に選択します。継続して同じクラブに参加しても良いし、毎年異なるクラブを選んでもかまいません。それぞれの生徒は自分が参加したいクラブを選び、学年横断的に集まって1コマともに活動するのです。私はある初年度リコーダークラブを選び、残りの2

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          Tessar、Jenaへ帰る

          2016年の夏、夫の出張についてイェーナ(Jena)へ行くことになりました。 イェーナといえば、Carl Zeiss。私のRolleiflex Standard、テイクレンズの周縁にはくっきりとCarl Zeiss Jenaと刻印されています。約80年前に製造されたカメラとはいえ、この私のRolleiflex Standard、よく出来たカメラで、古いカメラにありがちなコマの重なりというトラブルもなく、どんなフィルムを使用したとしても、きちんと、しかもかなり均等にコマ間が出

          Tessar、Jenaへ帰る

          Weimar

          今日、ふとしたことで手にしたCandida Höferの写真集『Weimar』。彼女の写真集は何冊か持っていますが、各国の図書館の写真を集めた『Library』と並び、この『Weimar』は一番好きな写真集です。何度も見返しているので、既にカバーがヨレヨレ。 2件目の写真は、この写真集に収められている『Goethe-Nationalmuseum Weimar II』という写真です。この写真を見て私はどうしてもこの場所へ行きたくなり、何年か前にWeimarまで足を伸ばしたこと

          列車の中の他人

          私の髪をいつも切ってくれる美容師さんは日本人です。子供の頃からドイツに住んでいるので、ドイツ語はペラペラ。両親が日本人なので日本語もペラペラ。羨ましいかぎりです。いつも髪を切ってもらう間、彼女と思いっきり日本語で話すことが楽しみの一つにもなっているのですが、そんな彼女が先日こんなことを言っていました。 「日本に行って電車に乗ったりすると、私、なんだか緊張しちゃうんですよね」 え。それどういうことですか。そう訊ねると、彼女は引き続きこんなことを言いました。 「電車の中で隣

          列車の中の他人

          Leicaで撮るヴェッツラー

          Leitz-Park Ernst Leitz Hotel Ernst Leitz Museum

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          trübe

          ドイツ語に「trübe」という語があります。 ハイネがその詩集「Deutschland. Wintermärchen」の冒頭で、このtrübeという語を用いていますが、それにどなたかが「曇った」という訳語を充てていました。辞書を引けば「濁った、くすんだ」などと並び「曇った」と書かれていますから間違いではないのですが、そこから東京あたりの「曇り」を思い浮かべてしまうと、まるで話が違ってきます。 ドイツの人々が天気を「trübe」と形容する時、高層霧(Hochnebel)が一

          秋の終わりのプラハ

          Jaromír FunkeにJosef Sudek、Jan Reichなど、チェコの写真家の大判カメラを使った写真の印象が強いプラハ。さすがに大判カメラは扱えませんが、私もできる限り大きなフォーマットで写真を撮りたいと考え、今までプラハへ行く時は常に中判カメラを持って行っていました。しかし、今回は気分を変えて35mmで撮ってみることにしました。今日ここに投稿した写真は、全てLeica M2とSummaron 35mm F2.8で撮影したものです。冬の中欧はプラハに限らず天気が

          秋の終わりのプラハ

          Josef Sudekのアトリエ

          写真に興味を持っている方なら、一度はその名前を聞いたことがあるに違いないチェコの写真家がいます。その名はJosef Sudek。 彼がかつて住んでいた住居と、アトリエとして使われていた小屋は修復され、現在、それぞれ小さな写真美術館として公開されています。今回の旅ではそこへ行ってきました。住居(現・ギャラリー)へ行った時は開放値4.5という暗いレンズが搭載されたFlexaretを持っていたため、暗い屋内の写真を撮ることはできませんでしたが、窓が大きなアトリエはLeica M2

          Josef Sudekのアトリエ

          プラハで再びFlexaretを買う

          1. Flexaret VI型を手放して後悔する 11月の終わり。実に4年ぶりにプラハへ行ってきました。今回は、そこでチェコスロバキア製のカメラ、Flexaretを買ったことについて書こうと思います。実はこのカメラ、4年前にも一度購入しているのですが、結局使いこなせなくて一度手放しています(その辺りの詳しい経緯については、以下の投稿をご覧ください)。 この投稿にも書きましたが、手放した後にFlexaretで撮った写真を改めて見たらて、けっこう良い写真が沢山あることに気付き

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          クアトロ・ラガッツィ

          毎年2回は会いに行く夫の叔母。彼女はフィレンツェに住んでいます。今回も春に引き続き彼女に会うため彼の地へ赴き、その後ヴィチェンツァを回って帰ってきました。 世界に名だたる有名かつゴージャスな都市が国内にズラリと揃うイタリア。そのイタリアにあってはヴィチェンツァは目立たない地方都市ということになるのかもしれません。その名を初めて聞くという方も少なくないと思います。しかし、この都市には他にはない目玉があります。欧州史上最初期の職業建築家の一人とみなされているアンドレア・パラディ

          クアトロ・ラガッツィ

          プラハでFlexaretを買う

          1. プラハ今年(2019年)2月、週末を利用してプラハに行くことになりました。 東京にいた頃は、仕事の合間を縫い、年に2回、3回と、たとえ数日間の短い休暇でも長時間飛行の労を惜しまず頻繁に訪れていたプラハ。それほど熱を上げていたプラハですが、ドイツに移住して以来、とんとご無沙汰していました。今回のプラハは、なんと、10年ぶり。ドイツに移住して以来、時間に余裕を持って旅行することができるようになったので、例えばピレネー山中の町とか、グレートブリテン島の最北端とか、たっぷり時間

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