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ヴルタヴァ川左岸
今日はヴルタヴァ川左岸、Malá StranaとHradčanyと呼ばれるで撮影した写真を投稿します。
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私が初めてプラハの地を踏んだのは1994年だったか、1995年だったか。それ以降、数え切れないほどプラハを訪れていますが、東京からはるばる来ていた頃も含め、常に右岸に宿泊していました。今回、初めて左岸に宿泊し、その結果Malá StranaとHradčanyを主に歩き回ることになりました。右岸に宿泊すると、ついついStaré MěstoやNové Městoへ足が向きがちなので、これで漸くバランスがとれたような感じがしています。
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ところで、クーデンホーフ光子といえば、その名に聞き覚えのある方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。19世紀末にオーストリア=ハンガリー帝国駐日代理大使と結婚し、後に当時この帝国支配下にあったチェコ西部に渡った女性です(夫の死後はウィーンへ移りました)。彼女の三男の娘、バルバラ・クーデンホーフ=カレルギーは第二次世界大戦後に追放されオーストリアに移り住むまで、両親や兄弟とともにプラハ左岸に住んでいました。そんな彼女は、その回顧録の中でこんなことを淡々と書いています(以下、彼女がドイツ語で書いることを私の言葉で簡単に要約します)。
19世紀の頃からドイツ色に強く彩られた小地区(Malá Strana)は、「私たちの側(unsere Seite)」だった。当時のプラハにはチェコ人とユダヤ人も住んでいたが、私たちとは何の接点もなかった。私の両親にチェコ人の知り合いはいなかったし、私たちがチェコの子供たちの行事に参加することはなかった。彼らと私たちは隣同士(nebeneinander)に住んでいたけれど、一緒(miteinander)には住んではいなかったのである。
そして、彼女はここでいう「私たち」のアイデンティティーをこのように位置付けています。「チェコスロバキアには属していたものの、私たちはドイツ語を話すボヘミア人であり、ドイツ人でもチェコ人でもなかった」。
もうあいまいにしか覚えていないのですが、確か東欧革命が起こり「ヨーロッパ」の枠組みが大きく変わりつつある頃、日本ではかつてのオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)を「多様な民族が共存していた」と理想化し、一部で盛んにもてはやしていた時期があったように記憶しています。しかし、ハプスブルクの時代から様々な民族が住んでいたプラハでは、実のところ「共存」などそれほど簡単なことではなかったのではないでしょうか。少なくとも20世紀前半、バルバラはそう感じていたと思います。Malá Stranaに建つ瀟洒なバロック様式の建物の壁には、今でも所々にドイツ語による通りの名と番地が記されているのを見かけます。その流れるように美しい字体を眺めながら、私はそんなことを考えました。
なお、今回投稿した写真は、全てRolleiflex 2.8F PlanarとIlford HP5 Plusで撮影しました。
引用文献)
Barbara Coudenhove-Kalergi, Zuhause ist überall: Erinnerungen, Fischer Taschenbuch, c2013