マキャベリの『君主論』研究をしていて気づいてしまった、「世界史のお金の流れ」に眠る、永遠に解決しない戦争の種の話
こちらのマガジンで、「ビジネスマン必読書の『君主論』をテキストデータ分析する」という試みを連載で続けておりますが、
その過程で『君主論』の古今の解説書を図書館から借りて読みまくっている時、世界史の中のお金の問題について、実に面白い指摘を発見しました。
保守派の論客だった会田雄次さんが編集した、『世界の名著 21 マキアヴェリ』中央公論社の中の「背景解説」のページに、さりげなく、とても面白いことが書いてあったのです。
そのページでは、「ルネサンスのイタリアというのは商人の世界であった」から、「マキャベリの君主論でいう『君主』も、封建的な君主ではなく、商人の元締め的な『君主』として理解すべき」と説明されており、そこは納得なのですが、
問題はその次、
「世界の歴史は、生産者の正義と商人の正義との、永遠に解決しない抗争の上に成り立っている」という、さりげない、しかし実に興味深い指摘です。
生産力を高めたい勢力と、商売を繁盛させたい勢力には、それぞれに正義があり、かつ、その正義は互いに永遠に憎しみあう運命である。
それゆえ、双方が「これを国際的なルールにしよう」と持ち出してくるものは、結局、いくら国際会議を開いても折り合わないということなのですね。
これは、現代社会を読み解く上でも、とても思い当たります。
アメリカのトランプ支持者(生産者の正義)と、ウォール街(商人の正義)
EUのフランス・ドイツ金縮派(生産者の正義)と、南欧諸国の放任財政(商人の正義)
中国内部での、内陸(生産者の正義)と、沿岸経済都市圏(商人の正義)とのかみ合わない感じ
さらに重い話をすれば、ドイツ(生産者の正義)に何度もあらわれる、ユダヤ(商人の正義)へのあふれだすような憎悪
日本人でも、「お金の話なんかせず、みんなに喜ばれるものをコツコツ作るのが正しいことだ」という人と、「お金を儲けるのって悪いことなんですかっ?」という人とが話をしても、たしかに永遠に折り合わなそうですし。
世界史の流れを漠然と見ていると、「ルネサンスで新しい考え方が出てきて、封建的な世界を終わらせた」と一言で済んでしまう箇所についても、その背景に、現代社会にもさまざまな遺恨をもたらしている、「生産者の倫理と商人の倫理」の対立を見るようにすると、もっと深いものが見えてくるかもしれません。
いっぽうで、「どちらにも言い分のある立場どうしが国際的なルールを決めようとしても、折り合いがつかないどころか、しばしば殺し合いにまで発展する」という過去のパターンがこれからも繰り返されるかもしれないと考えると、いささか暗澹たる気持ちにもなってくるのでした。
世界史というものは、勉強すればするほど、つくづく厄介なものとわかってくるものですね。