カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色 酒井敏
タイトルに笑い、帯に惹かれて購入した本。
モヤモヤの正体が言語化されていて、本当にスッキリした。
京大で「京大変人講座」を開講していた教授ならではの視点でSDGsについて切り込んだ本である。
SDGsはもういいよ、とうんざりしている人も、もっと良く知りたいと思っている人も、飽き飽きしている人も、そもそも分かっていない人も、正直疲れている人も、全ての人に読んでもらいたい。
京大出身、元京大教授ならではのユーモアが溢れ、万人に理解しやすい表現で「持続可能性」について解説している。
SDGs疲れ、という言葉を最近見かけるが、そもそも疲れていたら本末転倒であるということに人々は気付いていない。
いかに楽しく生きるか、という自分の生活の持続可能性を考えることも含めたものがSDGsなのではないだろうか。
キレイゴトとリアリズムとうんこ色
この本を読んで強く感じたのは、物事を広角・多角的に捉えるということがいかに大切であるか、ということである。
SDGsは現代の人類基準で作られた物であり、さらにいうならば先進国の目線で作られた物である。
万人が同じ価値観、同じ幸せを感じるわけではない。幸せの押し売りになっているのではないか、と考えさせられるような話が本の中で取り上げられていた。
貧困をなくそう、というゴールは、ただ経済格差を埋めるだけで叶えられるのだろうか?そこに「幸せな生活の持続可能性」は本当に存在するのだろうか?
地球の長い歴史を見れば、現在は異常なほど低二酸化炭素の時代である。二酸化炭素濃度が上がって困るのは人間目線での話であることからも、SDGsは真の意味で地球に優しいわけではないことがわかるだろう。
そもそもただ「地球に優しくしよう」というのがSDGsなのではない。
日本ではなぜか地球環境に関する目標が取り上げられがちだが、その一つ一つも見方を変えると「どこかの国のなんらかの出来事が発端でこんなことになっている」「非効率だがやらないわけにはいけない大人の事情」が関わっていたりする。
日本の基準と海外の基準では大きく差があるにもかかわらず、データ上で帳尻を合わせている事例も存在するようだ。全ての国と地域で全く同じ設備環境を整えているわけでもないのに、全く同じ目標設定をするのはおかしいのではないか、という疑問も湧いた。
日本で環境問題ばかりがフォーカスされやすいのは、メディアが取り上げやすい、分かりやすいテーマだからというのも一因かもしれない。
そう考えると人権や労働について取り上げられないのは、不都合な大人の事情が多すぎる故なのではないか…と考えてしまったりもした。
「人間の快適性、人間の都合、人類が存続するため」のルールがSDGsである。
そしてそのルールも、政治的な見解(=キレイゴト)と化学的な見解(=リアリズム)のパワーバランスによって、その時々で変化するものであるということを頭に入れておくべきだろう。
できることを「ぼちぼち」
SDGsのために今現在の幸せを全て手放さなければならないというのは、本末転倒である。
みんながあっちこっち向いている社会では、いずれ崩壊してしまう。
持続可能な社会維持のために、今現在の幸せな生活を持続するために、みんなでこういうことを目標に生活しようよ、という声掛けがSDGsなのだろう。
真の意味での「持続可能性」について面白く解説してくれ流だけでなく、SDGsへの向き合い方、向き合う姿勢について教えてくれる本だった。
うんこ色の未来にならないように、気付いたことを「ぼちぼち」やっていこうと思う。
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