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現代の非色 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー ブレイディみかこ
以前、こちらのnoteで「非色」という本を紹介した。
1964年に出版された、当時アメリカ人と結婚し渡米した日本人妻たちとその家族が受けた人種差別や、彼らの生活について書かれた物語である。
こちらは2019年に出版されたベストセラー本。本に興味がない人でも、広告や本屋の店先で見たことがあるのではないだろうか。
イギリスで暮らす日本人妻の目線で描かれた、イギリス人の夫とその間に生まれた子供との生活を描いたノンフィクションである。人種差別、イギリスの貧富の差やそこに暮らす人々の生活がリアルに綴られている。
難しいこと抜きにクスッと笑えたり、ブレイディみかこさんの考え方って素敵だなと思ったり、多感な年頃の息子の発言に感心したり。息子が成長していく様子は見ていてとても微笑ましく、温かい気持ちになった。
遠く離れた場所でこういう生活をしている人がいるのだ、と思いを馳せる。なんだかその場所の空気を一緒に吸っているような気持ちになった。
色のない時代から、カラフルな時代へ
非色と、ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー。
テーマとしては同じものを取り上げているはずなのだが、時代が違うとこうも変わるのか、と感慨深く思った。
この本を読んだことのある人は是非「非色」を読んでみて欲しい。
この本を読んだことのない人は「非色」も併せて読んでみて欲しい。
「非色」の時代を生きた人々がいたから今があり、今の時代は過去の人々が紡いできたさまざまな変化によって作られた世の中である。
色に非らず、と書き記された出来事が、現代ではカラフルなものとして描かれているという事実は、私たちの時代は「目が開かれた」時代であるということを意味しているような気がする。
無知は世界を狭める
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で、何度か登場する単語がある。
無知、である。
知らない、ということは、理解できない、出来ていないということである。
無知であるということの怖さを、私たちはよく分かっていないのではないだろうか。
人種差別に限らず、この世の中で起きている差別問題や社会問題というのは、無知によってその傷が広げられているという側面を持っていると思う。
私自身も、無知による差別や無知であることで人を傷つけるような振る舞いをしてきているのではないか。
無知であることを弁解にして、ふさわしくない言動をしてきてはいないだろうか。
知ることによって開かれるはずの扉を、知ろうともせずに通り過ぎてきてはいないだろうか。
この世の中の全てを知ることは不可能である。しかし、目の前にある扉を開き、その中に何があるのかを知る・確かめることは難しいことではない。
知ることによって世界は広がる。
目を背けてきた問題や歪みを正しく見ようとする目、知ろうとする心が、世界の彩りを豊かにしていくのではないだろうか。
今こそ目を開き、無知から脱却する時。
ブレイディみかこさんと息子さんが、背中を押してくれたような気がした。
2も読みたいし、もう一度非色も読み返したくなった。
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