三島由紀夫:大神神社
三島由紀夫(みしま・ゆきお、1925年~1970年)…小説家。本名は、平岡公威(ひらおか・きみたけ)。
画像は、奈良県桜井市三輪の大神神社(おおみわじんじゃ)にある三島由紀夫の「清明」記念碑。より正確に位置を伝えると、大神神社の摂社である狭井神社(さいじんじゃ)の参道沿いにある。
大神神社は、三輪山(みわやま)を神の宿る山、つまり神体山(しんたいさん)として、三輪明神とも呼ばれる。
先述の「清明」記念碑の近くには、三島由紀夫と大神神社との関係性の経緯が以下のような誌にまとめられている。
1966年6月、三島由紀夫は古神道を研究するため大神神社の摂社である率川神社(いさがわじんじゃ)の三枝祭(さいくさのまつり)に参列。
8月22日には、親友のコロンビア大学教授ドナルド・キーン(Donald Keene、1922年~2019年)と共に再度来訪。23日は、三輪山の裾山の付近を散策。24日に、三輪山の山頂へ登る。下山後に、拝殿で神職の雅楽講習終了奉告祭に参列。感銘を受けて色紙に「清明」「雲靉靆」と書いたという。
靉靆(あいたい)は、雲や霞がたなびいているさま。気持ちや表情が晴れ晴れしないさま。陰気。といった意味。
「雲靉靆」でシンプルに、うんあいたい、と読むのだろうか。それとも、くもあいたい、なのか。調べたけれど正確には分からなかった。
取り敢えず「清明」とは対義語になるということか。
ちなみに、上記のような取材・体験した要素は、「豊饒の海」四部作の第二部『奔馬』の中に盛り込まれている。
三島由紀夫をちゃんと読み始めたのは、二十歳前後くらいか。
先に太宰治(だざい・おさむ、1909年~1948年)にハマっていた。太宰治を読んだなら、何となく三島由紀夫も読むか、といった流れ。二項対立的に太宰派でも、三島派でもないかな。太宰治の方がゆかりの地が多いので、少し身近には感じるけれど。
三島由紀夫のゆかりの地と言えば、陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地か。まぁ、でも色々と問題がありそうだよな。ただ三島由紀夫が体験入隊をした地、陸上自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地の第2中隊隊舎前に追悼碑が建立されているようだ。
色々と調べたら文学碑は、そこそこ各地にあるようだ。ゆかりのお店や場所、風景をまとめた『三島由紀夫 街歩き手帖』という書籍も出ている。知らなかった。
お墓は、東京都府中市の多磨霊園。「平岡家之墓」に埋葬されている。文学館は、山梨県南都留郡(みなみつるぐん)山中湖村に、三島由紀夫文学館がある。また富山県富山市には、隠し文学館・花ざかりの森という毎年期間限定で開館される施設も。どこにも訪れたことがないので、今度足を運んでみようと思う。
三島由紀夫で最初に読んだ作品は何だったのだろうか。恐らく『金閣寺』だったか。シンプルに有名だし、他の作品をあまり知らなかったからという理由で。
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