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通信制高校から美大へ行った話 画塾編

高校生4年生になる春休みに、私は突然受験生になった。
小学生で不登校になってから、生まれて初めて塾に通わせてもらった。
通信制高校へ行きながら画塾に通っていた話を、高校編に続いて書いてみる。


受験生スパイのスケジュール

塾生時代にはよく、もしもスパイになったらこんな感じなのかなと考えていた。
高校は週1日の登校なので平日の浪人クラスに入ることができ、画塾と高校とアルバイトへ同時に通う生活が始まった。

高校でも自分のキャラクターがあり、バイト先では接客業の顔がある。
これまで1週間毎日外出をしたことがない私、時計が読めなくて電車の乗り換えができない私が、突然週7で出かけていく。

長い間ひきこもってあんまり出てこなかったので親戚中が心配し、このことに驚いていた。
祖母は「雪解けが始まったかのようだね」と言った。
高校の先生は登校する度に「大丈夫?疲れてない?」と声をかけてくれた。

なんかじゅくじゅくしてていやだな


初めて油絵の具を買う

私は画塾に入る前、地域の絵画教室に数年通っていた。
先生はデザインの専攻を卒業したおばあちゃん先生。もうすぐ80歳くらい。
家庭の都合で絵画教室がなくなってしまい、別の先生の勧めで画塾の体験へ行くことになった。
教室では油絵も教えていたけれど、塾に入ってそれが水彩画の描き方だったと気づいた。

入塾初日に初めての画材屋さんへ行った。
これまで学校の絵の具などは書店で買っていたため、初めて見るメーカーや色の名前が多く、買い方がむずかしかった。
白、黒、茶、赤、青、緑、黄、オレンジ、肌色の9色を購入し、夏頃までこの9色でキャンバスに向かっていた。

夏になって先生がそれに気づいた。
私の絵は色が少なく、茶色くて青くて濁っていた。
絵画教室で教わったようにオイルをしゃびしゃびにつけて水彩風に描いている。
人物画も生物画もスケルトンだった。
どうやらピンクや紫が要る、絵の具の速乾剤も要る、油絵とはもっと分厚く描くものらしい。
塾に入って3ヶ月。ようやく絵の具を買い集めるようになった。

英語わかんないし国際交流しよう

私は美術のことがわからないだけでなく、義務教育のこともわからなかった。
高校生になってすぐbe動詞とは何かわからなかった。
地域の国際交流に参加し、それがセンター試験のリスニングに役立った。

言葉がわからなくても、国際交流のイベントにはいつもゆったりした空気が流れていて心地良かった。
すぐに友達ができ、私たちは親友になった。彼女はロシア人だった。

高校では受験対策がなかったため、センター試験の勉強を独学で行った。
通信制なので自学自習が得意だった。
本屋さんへ行き参考書を選んで買ってくる。
文字に色がたくさんついていると目がチカチカしたり情報が多すぎたりしてしまうため、自分に合った参考書があることも学んでいった。

バリバリルーティーン

私にはどうしてもルーティーンをつくってしまうくせがある。
つくりたくないと思っているのでルーティーンを守るのは辛い。

高校生の頃が一番ルーティーンの多かった時期。
毎日決まった時間に起きて決まった電車に乗る。
決まった足から入る。決まった数字を数える。
苦手な雰囲気の数字はさける。シャンプーのプッシュ回数でもさける。

ASDの傾向は大人になってからわかったけれど、今考えると思い当たるこだわりがたくさんある。

朝起きたら泣いていた

冬が来ると受験対策もいよいよ大詰め。
印象深かったのは朝起きた自分が涙を流していたこと。
何か夢を見たわけでもなく頬がぬれている。

土曜日に塾へ行くと、隣で絵を描いていた友達がふらふらし始め、熱を出して帰った。冬の教室は大勢の期待と苦しみと闘争心とで熱くなっていた。

人と違うのはいいこと

周りの人たちは当たり前のように美術の話をする。
私は飛行機に乗ったことがなく新幹線にも乗ったことがなかったけれど、みんなはフランスのルーブル美術館やオルセー美術館の話をする。
「東京藝大って国立なんだ…大学って公立と私立があるんだ…」
そんな意識だった私にとって、画塾は衝撃的な環境だった。

小さい頃から何か浮いているなと感じていて、美大に入った今も浮いていて。
きっとそう感じている人はたくさんいて、それはとてもいいことだと思う。
通信制に通って、塾でも国際交流でも人が違うことを肯定できるようになれたのかもしれない。

ロシア人の親友が帰国するとき、私への手紙に書いてくれたこと。

あなたは他の大勢の人と全然違う考えを持っている。それでも自分の言いたいことを人に伝えている。これはあなたをあなたにすることだから、それを自分で変えないでほしい。

愛すべきぐでんぐでん

今の自分がこの記事を読んだら、もうバリバリはいやだ、これからはもっとぐーたら生きようと言うと思う。
私自身、世の中のことを知らず完璧主義で、
いつも誰かに声をかけてもらい、助けてもらった。

画塾には自分で働いて通っている人もたくさんいた。ライバル心を持って成長していく姿に圧倒され、尊敬する日々だった。
初めて毎日どこかへ出かけたり人と話したりする経験ができたことに、感謝しかなかった。

私は今ぐでんぐでんの毎日を送っている。
感覚過敏で騒いだりパニクったり幼児化したり、自分がはずかしいと思うこともたくさんある。隣の部屋に靴下を取りにいくのだって人の手を借りる。

靴下を自分で取りにいくようがんばりながら、
これからもぐでんぐでんの毎日を大切にしたい。

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