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読書メモ21「原爆裁判」第二章 原爆投下

一九九五年アメリカ
ABCテレビ番組

「ヒロシマ なぜ原爆は投下されたのか」

原爆投下という選択はしっかりした根拠に基づいて決断されたものとは言えない。

原爆投下には
6つの選択肢があった。
原爆を日本近海の無人島または日本の本土以外のに落として、その威力を見せつける。
原爆を軍事目標(軍港、基地など)に落とし大規模破壊する。
原爆を人口が密集する大都市に投下して、市民を無差別、大量に殺傷する。

それぞれに事前に警告あり
②なし の2バージョン。


そのことをトルーマンも、バーンズ国務長官も理解していた。

海軍次官のバード「事前警告なしでの原子爆弾使用には自分は同意しない」と文書で伝達。

   ・・・・・・


1943年5月米軍事政策委員会、「トラック島(連合艦隊の根拠地)日本艦隊に投下が適当」。

1944年5月物理学者ボーア、チャーチルに面会、8月ルーズベルトに面会、核使用停止を説得するが、失敗。

1944年9月、科学研究開発局長官「原爆の最初の使用は、敵国の領土ではなくわが国で行なうのがベスト。日本が降伏しなければ、原爆が日本の領土で使われることになると警告すればよい」

1944年9月ルーズベルト「原爆を日本に使用するのか、アメリカで実験して日本への警告とするのか、トルーマンの決定とは異なる見解」

1945年4月ルーズベルト急死、副大統領トルーマンが新大統領に。この交代が わずかな可能性を潰した

トルーマンは原爆投下は、真珠湾攻撃への復讐と考えていた。

1945年5月、イギリスは、日本へ原爆使用前に警告を与えるべきと文書で要望。

1945年7月アイゼンハワー元帥(次期大統領)「対日戦にはもはや原子爆弾は不要である」とトルーマンに進言。

太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥都市への原爆投下には清極的で、ロタ島への投下を示唆。 

シカゴ大学「原爆の対日使用に関するアンケート」科学者八五人のうち八五%が「無警告の原爆投下」に反対

レオ・シラードら科学者たちも、大統領に「原子爆弾使用反対の請願書」を提出。しかし大統領に届かず。

原爆投下後、アメリカの中枢にあった人たちの間からの痛烈な批判

ルーズベルトの前の大統領フーバー「いかなる詭弁を用いようと、原爆投下の主目的が、非戦闘員の殺傷であったことを否定することはできない。日本を挑発しなければ真珠湾を攻撃されなかっただろう」

戦略爆撃の責任者ルメイ「ロシアの参戦と原爆がなくとも、戦争は二週間で終わっていた。原子爆弾は戦争の終結とは何ら関係がなかった

当時ルメイの部下、のちの国長官マクナマラ「アメリカはこの戦争を外交的手段で終了させられた。原爆投下は不要だった。日本の犠牲はあまりにも不必要に巨大すぎた。私は東京大空襲において、同僚たちと、いかにして日本の民間人を効率的に殺傷できるかシミュレーションし、それを実行した。その結果、一晩で女性子供などの非戦闘員を
10万人焼き殺す
に至った。もし日本との戦争に負けていれば、私は間違いなく戦争犯罪人となっていただろう。勝ったから、正当化されるのか?我々は戦争犯罪を行なった。一体全体どうして、日本の
67もの主要都市を爆撃し、広島・長崎まで原爆で破滅させ、虐殺する必要があったというのか」

マッカーサー「日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った一九四五年六月、私は参謀たちに、戦争は終わりだ、と告げた。ところがトルーマン政権は突如原爆を投下した。私は二ユースを聞いて激怒した

海軍元帥キング「ジレンマ(原爆投下か上陸作戦か)は不要なものだった。じっくり待つつもりさえあれば、海上封鎖によって日本人は窮乏して降伏せざるを得なくなったからだ」

第三艦隊司令長官ハルゼー「原子爆弾は不必要な実験だった。これを一度でも投下したのは誤りだった。原爆は多数の日本人を殺した。しかし日本人は、かなり前からロシアを通じて和平の打診をしていた」

彼らはみな軍の中枢にあって、多数の国民、部下の命を背負っていた。彼らが、これだけの否定的見解を発し、この戦争の原爆使用に人間としての良心に関わる異常な臭いを嗅ぎつけている。

海軍元帥・大統領首席補佐官リーヒ「日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っていた。天皇の地位保全さえ認めれば日本が降伏する用意があることも知っていた。トルーマン大統領は、知っていながら無視した。ソ連に和平仲介を日本が依頼したことも無視した。この野蛮な爆弾を日本に投下したことは、何の意味も持たなかった。海上封鎖は十分な効果を上げていた。この新兵器を爆弾と呼ぶことは誤りである。これは爆弾でもなければ爆発物でもない。これは“毒物”である。恐ろしい放射能による被害が、爆発による殺傷力をはるかに超えたものなのだ。アメリカは原爆を投下したことで、中世の虐殺にまみれた暗黒時代の倫理基準を採用したことになる。私はこのような戦い方を訓練したことはないし、女、子供を虐殺して戦争に勝ったということはできない」

亡命ドイツ人物理学者シラード
「ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。ドイツが負けたとします。その場合アメリカ国民の誰が“原爆投下を犯罪とし、首謀者を極刑に処す”ことに異議を唱えるでしょうか?原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だったのです」

マンハッタン計画指揮官のグロープス少将は、最も原爆投下に積極的であった。彼は「広島は軍事都市である」との報告書を提出し、自ら原爆投下指令書を作成した。トルーマンがそれを許可した形はないとされているのだが…。

投下候補地は、(京都)、広島、(横浜)、小倉、新潟、長崎だった。
長崎への投下は、視界不良で当日小倉から変更されたものだった。
(以上 山我浩著「原爆裁判」第二章より抄録編集)

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広島、長崎への原爆投下は、戦略・戦術的必要性からであるよりも、トルーマンとグローブスという二人の人間の感情と思考に依っていた部分が大きいと思われる。
ルーズベルトの死によって権力を握ったトルーマンへ、届かない声が多数あった。
ウクライナ情勢の中で、ロシアの核兵器のボタンは、かなりの程度プーチン個人に握られている。他の核保有国についても、程度の差であり、充分にコントロールされている とは言えないだろう。
私達には、何が出来るのだろうか。          
          光

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