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【理論編】SNSで見えるのは本当の世界?

「脱スマホ」「スマホ依存脱出」のための記事を、【初級】と題していくつか投稿しましたが、そもそもの考え方を示すのを忘れていました。
【理論編】と称して、スマホやSNSから離れたくなる方法を、いくつか記事として投稿していきます。

SNSはゴミ溜めか都合の良い切り貼りに過ぎない

FacebookやInstagramを見ると、フォローしている人や、その関係にある人たちのキラキラした写真や意欲に満ちたアピールで満ち溢れています。
かたや自分は何のとりえもないし、いったい何をしているのだろう……と劣等感にさいなまれることがあると思います。

一方、XなどのSNSを見ると、「よくもまあ顔も名前も知らない他人をここまで口汚く罵れることよ」となってしまうことがありますし、そこで検索などすると自分よりずっと成功していて幸せそうな人たちのアカウントを無数に見ることができます。

こんなことを繰り返していると、常に頭はネガティブな考えに支配されてしまいます。重篤になると、心身の健康を著しく害して、人生を棒に振ってしまうことすらあります。

ですが、本当にそのアカウントの人物は存在するのでしょうか
存在するとしても、その暮らしは本当でしょうか?

しばしば、投資詐欺や結婚詐欺のアカウントが、豪華な暮らしをアピールするために、高級タワーマンションや高級外車やパーティーや美人・イケメンのパートナーやブランド物などの写真を投稿することがあります。
また、インフルエンサーはしばしばスポンサーから資金提供を受けて、豪奢な暮らしを演出していることがあります。

キャサリン・プライス『スマホ断ち 30日でスマホ依存から抜け出す方法』(角川新書)から引用すると、

皮肉に思えるのは、ほとんどのアカウントは、たとえスキー/サーフィンをしたり、モデルに囲まれてジャグジーに入ったりする写真でタイムラインがいっぱいだったとしても、それがそのままその人の生活の実態をあらわしているわけではないという点だ。また、ものすごい数のフォロワーがいるインフルエンサーのなかには、報酬をもらってきらびやかな日々を演出している人も多い。だれかの日常が現実にはありえない夢のものに見えたなら、それはおそらく夢なのだ。

キャサリン・プライス『スマホ断ち』(角川新書)

という一節があります。
まさにその通りで、私たちは本当は存在しない夢を見て、それに嫉妬を感じたり、劣等感を感じたりしているだけなのかもしれません。

でも本当に存在する人だったら?

もしその人が本当に実在する人で、それで高級車に乗ったり、高そうなワインを飲んでいたり、子どもたちに囲まれて幸せそうだったり、としていたとしても、臆することはありません。

こう考えてみるのはいかがでしょう。

本当に幸せなら、そもそもSNSに投稿なんてしない

のではないでしょうか。

佐藤ざくりさんという漫画家の『アナグラアメリ』という漫画に、以下のコマがあります。

「実生活で 愛されて満たされてる女は SNSに自撮りなんてアップしない………」

私はこのコマは、SNSの全ての真実を1コマで言い当てた、すばらしい表現だと思っています。

まぁそういうことで、いちいちSNSで幸せアピールしている時点で(たとえそれが意図的でなかったとしても)、実生活で愛されて満たされていない、というふうに思えば、SNSから簡単におさらばできるのではないでしょうか。

本当に幸せなら、そもそもSNSに投稿なんてしない」のです。

私はこんな簡単なことに気づくのに、15年もかかってしまいました。皆さんは手遅れになる前に行動してください。

ホンモノはインターネットには仕事以外で出てこない

とある作家が、エッセイでこんな言葉を残しています。

「べつに、ネットがなくても生活はできます。SNSなんかに時間を取られることは、不毛と感じます。自分の時間を自分の好きなことに使い、自分の判断で自分の行動を評価する。これで、自分の人生はわりと簡単にハッピィになります。現に、僕の周囲の一流の人たち、尊敬すべき人たちは皆さん、(営業目的以外では)ネットに出てきません。つまりそこは、そういう素晴らしい人たちがいない世界だということなのです。その点に早く気づかれた方が賢明かと。」

森博嗣『森メトリィの日々』講談社

私はこの言葉をエッセイで読みながらも、そのことに真に気づくまでに何年も時間を無駄にしてしました。
SNSに限らず、インターネットで幸せな生活を演出している人は、実生活で愛されて満たされていないか、ひょっとしたら営業目的なのかもしれません。

となると、SNSはテレビ同様、CM・ネット広告だけではなく、コンテンツの中身そのものも広告・宣伝行為なのかもしれませんね。

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