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読んだそばから忘れる

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毒にも薬にもならない読書の記録。
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図書館と絵本、頭の中はトイレでいっぱいの日々:『あんぱんジャムパンクリームパン』

住む家や行き場のない人たちにとって、書店や図書館は、入場料も身分証明書もなしに入ることができて、好きなだけ時間を過ごせる場所だ。物質的な「必要」を満たすだけではない役割が、書店や図書館にはある。(牟田都子による「あとがき1」より) コロナ禍の様々な自粛や休業の中で、特に痛手だったのが図書館の休館だった。不特定多数の人が出入りする場所でいろんな人が本を手にとっては戻す。誰でも使える検索システムだってある。そういう場所だから、休館するのも仕方ない。でも、これが地味に私の心をむし

誰かの世界を肯定するために生きているのではないということ

付き合いの浅い人と話していると、思いのほか「意外」と言われることが多くて驚いてしまう。年齢、性別、外見、職業、家族構成、血液型、趣味や好み。AだけどB。CなのにD。一体このやりとりはなんなのだろうと頭の片隅で考えながら、「意外だね~」なんて言われる度に「なんて答えたら斬新かな」などとふざけ心が疼きだす。 たぶん、いや本当のところは知らないけど、おそらく「そうかな~へへ」と軽く照れる感じで笑うのがいいんだろうな。「そうなの!私ってこんなに意外なの」と得意げになって「他にもこん

自分の身体を取り戻すための長い旅:『エトセトラ VOL.3 特集:私の私による私のための身体』

産婦人科の内診台。あれはぜひ男女問わず乗ってみてほしいと思う。特別な用などなくていい。妊婦を疑似体験できるジャケットのように「産婦人科内診体験」でもなんでもいい。結構、びっくりするんじゃないだろうか。 椅子かベッドかは設備によって異なるだろうけど、基本的には「じゃあ、下、全部脱いでくださいね」と言われてヨッコラショと座る(あるいは寝転がる)。そして左右に足を掛ける台があってそこにそれぞれの足を乗せる。そして、下半身を隠すように仕切りのカーテンがシャッと引かれて「さらば、私の

「当たり前」にあったそのコミュニケーションについて考える:久山葉子『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』

一応もう大人なので、いちいち恨み言を言ったりはしないが(もちろんたまに言いたくなる時もある)、子供の頃に大人から言われたことを未だに心の中で引きずっていたりする。そして思い返してみるとそれは、大人にとっては「褒めていた」つもりでも、子供サイドからしたら「余計なお世話」だったりすることもある。 久しぶりにあった親の友人に「痩せたねー!全然違う!」と言われたことにも、「○○さん(親)に似てるね!そっくり!」と言われることにも、正直ありがたみや喜びを感じることがほとんどなかった。

わたしの自由の街:おおがきなこ『今日のてんちょと。』

下北沢が好きだ。 何がとかどこがとか、というよりも街として好きだ。今は少し離れたところに住んでいて頻繁には行けなくなってしまったけれど、1人暮らしの頃は「下北沢から近い」ことを条件にアパートを選んでいたくらい、好きだった。 よく通っていた頃の下北沢は、今みたいに駅が新しくなる前で、駅前ももっとごちゃごちゃとしていて、踏切はいつまでも開かなくて、ヴィレヴァンはもっと本が目立つ場所に配置されていた。とはいえあとは今とそんなに変わらない感じで、高い建物が少なくて、いろんな店があ

食べることと感情と言葉と、人生を救う家庭科のこと:最果タヒ『もぐ∞(もぐのむげんだいじょう)』

おいしそう。おいしい。おいしかった。うまそう。うまい。うまかった。 お、と思う食べものに出会う度、私の手の中にある言葉たちは途端に貧弱になる。「おいしい」と「うまい」の未来現在過去形だけで済んでしまうなんて、食欲や味覚を前にしてなんて言葉は脆弱なんだろう。 私が誰かにその食べものの魅力を伝えなければならない立場であったならもっとボキャブラリーを鍛えたのかもしれないけれど、そうじゃない。食べることは私にとって贅沢なまでに孤独を堪能できる行為だ。 だから、社会的にはどうだか

映画の話はこんなふうに:井上荒野・江國香織『あの映画みた?』

先日、米アカデミー賞が発表され、ポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』が作品賞をはじめ4部門を受賞した。『パラサイト』はなんだかんだとまだ観てないくせに、ポン・ジュノのスピーチをテレビで見ながら、一緒になって感極まってしまった。『ジョーカー』だって観てないし『ジュディ 虹の彼方に』だって日本公開はこれからなのに、ホアキン・フェニックスにもレネー・ゼルヴィガーにもぐっときてしまった。ここまできたらもうただの感動屋かもしれない。 初めて映画が好きだと自覚したのはいつだっただ

残りつづける食の記憶:石田千『箸もてば』

初めて石田千の文章に触れたとき、私は身も心もボロボロだった。人の世話にばかり追われ、自分の寝食さえも満足にコントロールできない状況で、自分自身をいたわる精神的な余裕もなかった。ただそれでも希望を見つけたくて、貪るように本だけは読んでいた。そんな時期だった。 あの時読んだ本が何だったのかどうしても思い出せないが(最近いつもそうだ)、表紙を開いて最初のエッセイを読んだときに「風が吹いた」と感じたことだけはしっかりと覚えている。 爽やかな風と日差しがたくさん入り、時折カーテンが

自由から遠くはなれて:若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

一度だけ、一人旅というものをしたことがある。 「旅」なんていえるほどのものではないけれど、20代の前半の頃、「そうだ。京都、行こう」とまるで広告そのままに、久しぶりの3連休を、ふと思い立って京都で過ごすことにした。 大きな鞄に着替えを詰めて、仕事帰りにそのまま夜行バスに飛び乗った。 修学旅行以来初めての京都。そして初めての一人での旅行。そもそも旅行がそれほど好きでもない私だ。今になって考えればもう血迷ったとしかいいようがなかった。 案の定、その旅行はあまりいい思い出に

私と笑いと阿佐ヶ谷姉妹:阿佐ヶ谷姉妹『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』

ファンというほどではないが、阿佐ヶ谷姉妹が密かに好きだ。追いかけている訳ではないけれど、テレビに出ているとなんとなくほっこりしてつい見てしまう。 ついでに言うと、中学生くらいの頃、お笑い芸人になりたいと思ったことがある。 当時、NHKでやっていた「爆笑オンエアバトル」が大好きで、同じようにハマっていた友人と面白かったネタをマネしてはげらげら笑ったり、果ては「お笑いすごい、ってかお笑い芸人すごくね?なりたい、なりたいかも!」なんていう思いが頭をかすめたりした。 ただ、私は

心がきしむ音を聞いた:ジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』

痛みを伴わずに、家族の話をすることなどできないと思う。 私は結婚や出産によって抑圧され続けた母の苦悩を目の当たりにしたし、そのストレスがまっすぐに飛んでくることもしょっちゅうだった。田舎の農家の次男というなんとも言いがたいポジション出身の父親も、複雑で気むずかしい人間で私には対応しきれない代物だった。おかげさまで今は年に数回コンタクトを取るだけという、ほどよい疎遠具合になっている。 そういう家庭で育ってしまうとつい、仲良し親子や仲良し家族に悲しみがあるなんてことは考えられ

そうやって今日もなんとか生きている:雨宮まみ『まじめに生きるって損ですか?』

「まじめに生きるって損ですか?」 このタイトルを見て、そう誰かに聞きたくなったことのある人は結構いるんじゃないか、と思った。答えてくれる人がいるかは別として、少なくとも私はそうだ。そしてその度に、出来ることなら「否!まじめで結構!そのままでよし!」と全力で肯定してくれないかな、と割と強めに願ったりしていた。 自分なりに与えられた環境の中で精一杯やっているつもりでも、この世はそんなに甘くない。努力は実るものばかりではないし、生まれた時点である程度の経済力が決まっていたりする

会話の楽しみを読む:雨宮まみ・岸政彦『コーヒーと一冊⑧ 愛と欲望の雑談』

私はこんなふうにnoteやTwitterをやったりしているが、誰かとコミュニケーションをとるのなら、絶対的に直接会って話す方が好きだ。 語彙力にも文法にも自信がないし、表情や会話のテンポなしで気持ちを伝えられる気がしないから、何かを話したいときはいつだって会いたい。 だから、SNSなんかでケンカをしている人がいると「ガッツあんなー」と遠巻きに感心してしまう。しかも面識のない人が相手なんてよほど元気がないとできない所行だと思っている。 この本は、ライターの雨宮まみと社会学

あの頃の私をアップデートする:『エトセトラVOL.2』(特集:We LOVE 田嶋陽子!)

実のところ、この特集を読むまで私にとってのフェミニストは上野千鶴子だけだった。論理的で時に挑発的な文章はとても魅力的だったし、20代前半の頃に『発情装置』を読んだことは強烈な体験として今でも心に残っている。 それに対して田嶋陽子はといえば、正直フェミニストというよりタレントだと思っていた。80年代生まれの私の家でも、やはり毎週TVタックルが流れていたし、私が知っている田嶋陽子は、その中で口論する姿だけだった。 だから今回の特集名が最初に発表されたとき、本当は少し暗い気持ち