自分の身体を取り戻すための長い旅:『エトセトラ VOL.3 特集:私の私による私のための身体』
産婦人科の内診台。あれはぜひ男女問わず乗ってみてほしいと思う。特別な用などなくていい。妊婦を疑似体験できるジャケットのように「産婦人科内診体験」でもなんでもいい。結構、びっくりするんじゃないだろうか。
椅子かベッドかは設備によって異なるだろうけど、基本的には「じゃあ、下、全部脱いでくださいね」と言われてヨッコラショと座る(あるいは寝転がる)。そして左右に足を掛ける台があってそこにそれぞれの足を乗せる。そして、下半身を隠すように仕切りのカーテンがシャッと引かれて「さらば、私の下半身」という感じでもう見えない、カーテンの向こうは何も。そしてそれが椅子ならそのままウィーンと動いたりして、あとは「はい、いいですよ」と言われるまで多少の会話以外じっとしているだけ。
これね、結構こたえるんですよ。精神的に。まず体勢が無防備すぎて不安。そしてカーテンによって視界が遮られていることへの不安。検診や治療ということはわかるけれど、じゃあ具体的に誰が何をしているのか、どのタイミングで器具が入るのか等全部がわからないことへの不安。わからないが故に常に心を張り詰めてしまう緊張感。とにかく、とにかく疲れる。それが私にとっての産婦人科内診の印象だ。で、産婦人科の内診ってどこもそんな感じなんだと思っていた。だからこの感情も仕方がないのだと。
しかし、それはどうやら違うらしい。
日本の産婦人科で使用している内診台は、腰から下をカーテンを仕切ることが多いですよね?あれって日本と韓国以外にはほとんどないんですよ。海外では足を掛ける台がついたベッド式のものがほとんどで、内診台が自動で動くこともない。アメリカなんかはすっぽんぽんで横たわります。もし恥ずかしければ、下半身にタオルをかければいいだけでしょう。それなのに日本ではカーテンで上半身と下半身で分断して、下半身を明け渡す。下半身を晒したカーテンの向こうに誰がいるのかわからないなんて、かなり怖いじゃないですか。そんな恐ろしいことに耐えられるメンタリティが、そもそもおかしいと私は思ってます。(早乙女智子、『エトセトラVOL.3 特集:私の私による私のための身体』、「【インタビュー】産婦人科医が語る マイボディ・マイチョイス」、81頁、以下引用同)
「うそでしょ」と驚きつつ「そりゃそうだよ」と納得。そう、恐ろしい。恐ろしいのに、もうこればっかりは耐えるしかないのだと思っていた。だってそういうものなんだから。内診台に上がるときはいつも、仕方ない、仕方ない、いいからさっさと終われ、できれば痛くないほうがいい、と祈るような気持ちだった。とはいえ妊婦健診や治療や検診などで通っているうちに、それすらも考えるのが憂鬱になり、結果として「私はモノっすね」と言い聞かせるに至った。自分の身体だというのに、分断されて自分の意思が届かないところに行ってしまう。それならばいっそのこと、もう感覚を麻痺させて時計を修理に出すくらいのノリで、それ以上の関心はもたないでいたほうがいい。私が辿り着いた気持ちの落としどころはそこだった。
私が産婦人科に対して抵抗を感じるようになった大きなタイミングは、妊婦健診だった。もちろん病院や医師によって異なるだろうけれど、予約制にもかかわらず二時間待つのは珍しくないのに、診察自体は毎回たったの10分程度。エコーや血圧、体重などを見ながら順調かどうか判断される。まるで検診と検診の間の生活に対しての合否判断をされているかのようだった。そして終わるとまた次の検診の日まで、先生に言われた通りに、病院から配られたパンフレットに書いてある通りに優等生目指して暮らす。その繰り返し。
しかし、そこには自分の意思や感情などはなくて、求められるのは出産を無事に終えるために必要な生活。つい夜更かししたり働きすぎたり食べすぎたり、あるいは気晴らしにジャンクフードを食べてしまったりなんかすると「次の検診が無事に終わりますように」とまたしても祈る気持ちになる。職場での色々な圧もあり、おかげでストレスはたまる一方だった。すべては母体と赤ちゃんの健康のため。そう言われると仕方ない。そしてそう言われることがわかっているから黙って従うしかない。だから、心の問題とか仕事の問題とかその他のちまちました不安とかは自力でどうにかするしかない。だってそういうものなんだから。そう思っていた。
でも、どうやらそれもおかしいらしいですよ。世の中もう変なことばっかりですね。
妊婦健診だって、女の管理ツールになってしまっている。日本は世界一、妊婦健診の回数が多いと言われています。体調管理の面では悪いことじゃないけど、よくない面もある。だって次の検診までいい子でいなきゃいけないじゃないですか。体重や食生活のことなんて個人の問題なのに、検診の度に「すいません」って気持ちにさせられる。体重が増えて医師や看護師に怒られたりするのは、管理被害に遭ってるってことなんです。(82頁)
もう目から鱗。鱗がいくつあっても足りない。はっきり言って、救われた。むかし出産関係のいろんな本を読み漁ったこともあったけど、それらの本よりもこの数頁のインタビューが一番パンチが効いていた。もう最高。
色々な本を読んでいると「ああ、こういう本がもっと若いときにあったらな」と思うことがある。もっと若い頃に読んでいたら、未熟な頃に読んでいたら、不安定な頃に読んでいたら。そうしたらあの時の私はもっと救われたんじゃないだろうか、うっかり人を傷つけることもなかったんじゃないか、ついそんなことを考えてしまう。もちろん本書もそう思える一冊だけれど、若い人だけではない、どんな年齢の人にも読んで欲しいし、女性だけでなく男性にも読んでほしい。だって身体だけは、一人にひとつずつ与えられているから。きっと、どこかに引っかかることがあるんじゃないだろうか。
私は今、少しずつでも自分の身体と心を取り戻しながら生きている。自分の好きなものを大なり小なり好きなだけ好きなときに食べる。疲れたと感じたら素直に横になる。職場の時代錯誤な会話に愛想笑いしない。気晴らしに親指にだけペディキュアを塗る。好きな本を読む。こうやってnoteを書く。そうやって頭の中にベタベタと貼り付いた多種多様な「そういうもんだ」の付箋を一枚一枚剥がしていると、なんだかスッキリした気分になる。自分の身体は自分のもの(あと心も!)。とやかく言ったり管理しようとしたりする方がおかしいのだ。自信をもってそう言えるようになった、老若男女問わず読んでほしいと思える本。そして私もいつかドロップキック決めたい。