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ぴもみ
2024年6月25日 15:41
夫は退院後半年しても、喉が痛いと言っている。もう激痛だ。それで、再度、食道ガン手術を受けた大学病院の耳鼻咽喉科で検査を受けた。しかし、何もないと言われた。では、どうして激痛なのか、私たち夫婦には訳がわからなかった。いま、悔やまれるとしたら、他の病院にも行って、検査すべきだったのかも知れない。退院後一年間は、夫にとっては大変だったのかも知れないが、夫が会社から帰ってくれば
2024年6月23日 15:01
夫は仕事が好きだった。手術のために2週間くらい休むつもりが、すでに、2ヶ月半も休職していた。「有給がなくなっちゃう」と心配していた。夫は職場に恵まれて、入院中もお給料は出ていたし、本当にありがたかった。夫は心苦しかったのだと思う。「一刻も早く会社に行きたい」「ここにいたら、食事も食べたくないし、早く家に帰りたい」と言って医師や看護師に退院を急かしていた。担当の看護師
2024年6月21日 17:21
手術後、夫は順調に快復した。毎日面会に行くたびに、薬や排液の管が減っていくので、私は嬉しかった。そして、一般病棟に移ることになった。一般病室は、他の患者さんも一緒なのに、各々のベッドはカーテンで仕切られていたし、看護師も頻繁に来なくなったので、昼でも、暗い感じがした。食事も出るようになったが、夫は「抗がん剤治療を思い出す」と言って、まったく手をつけなかった。そして、喉を指
2024年6月20日 16:46
夫は腹膜炎の洗浄のため、開腹手術をした。食道ガンの手術と違って、6時間程度で終わったが、何があるかわからないので、義母も呼んだ。手術後、医師に呼ばれて説明を受ける。すぐ夫は部屋に戻ってきた。時間がかかったのは、麻酔がなかなか効かなかったからだと言うが、途中で経過を報告してくれるわけではないので、こちらとしては、なにかあったんじゃないかと気を揉んでしまう。手術後30分くらいは
2024年6月15日 15:37
夫は、抗がん剤と放射線治療を受けて喉の痛みがおさまっていた。だから、私が無理にすすめなくても、良く食べた。手術する前日に、医師から説明を受ける。無口な先生だから「食道を切って、胃を上に持ち上げて食道の代わりにします。何か質問は?」で終わってしまった。あとは、サインして終了。埼玉から足を運んでくれた義兄は、拍子抜けしていた。そして、手術の当日。夫は、軽い足どりで手
2024年6月14日 16:37
こうして、夫の食道ガンの放射線治療がはじまった。5週目で終わった途端。夫は、私の心配をよそに「うすめたお酒なら大丈夫でしょ?」「いや、いや〜ダメでしょ」と私。「飲んじゃお〜」と夫。「看護師さんが言ってたじゃないの!やけど状態の粘膜にアルコールが流れていくと‥」見ると、すでに夫は焼酎を水でうすめて飲んでいた。禁酒は5週間でやぶられたが、嬉しそうに飲んでいる夫を見る
2024年6月13日 12:41
前回の続きです。夫の喉の痛みは、私には隠していたが、極限に達しているようだった。二年が過ぎた春。みずから「今度は大学病院に行って検査してくるよ」と夫。一ヶ月後「ねー、ね、喉には何にも出来てないって。でもさ、」「うん」と私「食道ガンらしい」「ええーーー!!」そのあとは怒涛の日々でした。一緒に医師から治療方針をきく。すぐに抗がん剤治療がはじまる。最初夫は、