東洋大学茶道研究会

東洋大学茶道研究会です!主に月・水・金曜日の中で、会員が空きコマの時間に活動しています。学年や茶道経験問わず、入会募集中です。 twitter.com/toyosado30?s=09 instagram.com/toyo_chachacha

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最近の記事

禅宗と室町文化②

皆さんこんにちは。東洋大学茶道研究会です。 さて、前回は「旧仏教」と「新仏教」の違いは他宗を否定しているかどうかという点にあるという指摘をしました。今回は、その基準に従い、中世の仏教を再評価していこうと思います。 まず、一般的に「新仏教」とされているものの、前回指摘した特徴には該当しない宗派が1つだけ存在します。それは栄西の臨済宗です。臨済宗の教義では戒律を重視しており、この点は「旧仏教改革派」に近い側面です。また臨済宗の特徴として、「旧仏教」と妥協的だということはよく指

    • 禅宗と室町文化①

      お久しぶりです。新年度の授業には慣れてきたでしょうか。 今回のテーマは、茶道に大きな影響を与えた禅宗についての話です。その前提として、中世の仏教がどのようなものであったのかというところから確認していきましょう。 中世の仏教といえば、高校の日本史では「鎌倉新仏教」(以下、「新仏教」)が有名かと思われます。「新仏教」は庶民を救済対象としたと評価され、また修行方法として易行(「いぎょう」。簡単な修行)・選択(「せんちゃく」。修行方法を1つ選ぶ)・専修(「せんじゅ」。選択した修行

      • 千利休の虚像と実像③

        こんにちは。東洋大学茶道研究会です。前回は桃山文化の茶道の特徴として、御茶湯御政道と職家の固定化について見てきました。このように、利休と秀吉は協力して豊臣政権の運営を行っていました。1590年の小田原合戦にも利休は参加しており、この際に帛紗裁きを創始しています。 ・作られる利休像しかし翌年2月13日、突然秀吉から堺への蟄居を命じられ、28日には切腹したとされています。中村修也氏はこれ以降も生きていたという説を唱えていますが、その具体的な検証は今後に回しましょう。1594年に

        • 千利休の虚像と実像②

          こんにちは。東洋大学茶道研究会です。前回は千利休の本業が商人であることと、利休と茶の湯の繋がりについて見てきました。今回はそんな利休が生きた桃山文化の茶の湯がどのような特徴を持っていたのか、政治的な面と経済的な面に注目して見ていきます。 ・御茶湯御政道桃山文化の茶道は「御茶湯御政道」と称されます。「おんちゃのゆごせいどう」と読みますが、簡単にいえば政治の道具として活用された茶道ということです。主に2つの側面があります。 1つ目は家格形成への利用で、織田政権で多用されました

          千利休の虚像と実像①

          明けましておめでとうございます。東洋大学茶道研究会です。 新年最初に取り上げる話題は、茶道の大成者とされている千利休です。 教科書などでは、茶道といえば千利休、時代で言えば桃山文化が注目されます。しかしこれまで見てきたとおり、茶道の歴史を考える上では、桃山文化よりも東山文化と元禄文化の2つのほうがはるかに重要です。 このようにまとめると、利休を軽視しているように誤解されがちですが、そうではありません。一般的に利休の偉業とされるものが、実はそれ以前から日本に存在したり、逆に

          千利休の虚像と実像①

          茶室の平等性・閉塞性

          みなさんこんにちは。東洋大学茶道研究会です。 茶道の精神として「わび」と同じくらい重要なものに、平等性・閉塞性が上げられます。この平等性や閉塞性は、この単語を用いて言及されることはあまりないので、認識したことがない人も多いかもしれません。しかし、深く考えてみれば普段のお稽古にもその一端を見ることができます。 一番身近なものとしては、躙り口を挙げることができるでしょう。躙り口は身分の高い人も、低い人も、頭を下げなければ茶室に入ることができません。これは茶室の中が平等であるこ

          茶室の平等性・閉塞性

          茶道における「わび」の精神②

          みなさんこんにちは。東洋大学茶道研究会です。 前回は、茶道の精神の中枢ともいえる「わび」の精神が、日本に根付いたのは元禄文化からであるということをお話ししました。 それでは、このような茶道史と日本史の差は、どのように埋めていけばよいでしょうか? もちろん茶道は茶道であって他の文化とは関係ないと言ってしまえばそれまでですが、茶道は「総合芸術」であることは周知の事実です。また茶道に「日本の伝統文化」としての側面がある以上、茶道を理解する上では茶道だけを見ていては足りず、日本全

          茶道における「わび」の精神②

          茶道における「わび」の精神①

          みなさんこんにちは。東洋大学茶道研究会です。 最近は突然寒くなってきましたね。この時期は特にお茶の温かさが恋しくなります。 さて、茶道には様々な特徴がありますが、前回まではその中でも作法の成立過程について見てきました。この作法と同じくらい重要な位置を占めているものに、「わび」(侘・佗)の精神があります。 茶道の中では実際に「侘・寂」や「佗茶」という単語でよく用いられますが、それではこの「わび」とはどのような意味を持っているのか、改めて考えていきましょう。『日本国語大辞典』に

          茶道における「わび」の精神①

          作法と「おもてなし」③

          こんにちは。東洋大学茶道研究会です。 これまで2回にわたって、茶道における作法とおもてなしについての歴史を辿ってきました。現在重要視されている作法は、利休の時代ではなく元禄期に成立したことが分かりました。家元制度によって正統性を確保した三千家は、江戸時代後期には茶道界の中で特に優勢となり、その影響を受けた武家茶道のでも家元制度が採用されていきます。 しかし三千家の隆盛もずっと続いたわけではありません。明治維新による西洋化によって、それまでの日本の文化は「時代遅れなもの」とし

          作法と「おもてなし」③

          作法と「おもてなし」②

          こんにちは。東洋大学茶道研究会です。 前回は作法とおもてなしという2つの基準に沿って、室町時代の茶寄合から千利休の茶の湯までを扱いました。そしてこの時代の茶の湯はおもてなし重視で、皆が継承するべき作法などは存在しないことが分かりました。 それでは、現在に連なる町人茶道はどのようにして広まっていったのでしょうか。今度はそれを探っていこうと思います。 利休には2人の男子がいました。1人は千道安といって、利休の実の子です。彼は堺千家を創設しました。もう1人は千少庵といって、利休

          作法と「おもてなし」②

          作法と「おもてなし」①

          こんにちは、東洋大学茶道研究会です。約1年半ぶりに対面の活動が再開しました。まだまだ普段通りお稽古をするには制限が多いですが、少しずつ日常が戻ってきていますね。 今回、白山祭のためにnoteのアカウントを作りましたが、せっかく作ったなら、ということでこれから数回にわたって茶道の話(特に歴史を中心に)をしていこうと思います。 さて、お稽古に臨むうえで最初にくる壁は、なんといってもお作法でしょう。順番を覚えるだけでなく、道具を置く位置はミリ単位で決まっているし、他にも様々なこと

          作法と「おもてなし」①

          ★会員紹介ファイル★

          こんにちは! 東洋大学茶道研究会です。 このページを見てくださりありがとうございます! 私たち茶道研究会は毎年、白山祭ではお点前の披露とお菓子、お抹茶の提供と共に、茶道研究会のメンバーを紹介する「会員紹介ファイル」なるものを制作していました。 しかし去年、今年とコロナの影響で対面での活動が出来ず会員紹介ファイルの制作も難しい状況でした。 が、今年はGoogleフォームを使って「会員紹介ファイル」、作成致しました!! 各学年、男女問わず答えてくれたので、抜粋して掲載します

          ★会員紹介ファイル★