体系化された学び〜読書嫌いから脱却した瞬間〜
私が通っていた小学校、中学校、高校では
「朝読書の時間」が毎日10分?15分?くらい
1時間目の前に設けられていました。
皆さんの母校はどうでしたか?
私は幼い頃から読書が嫌いでした。
特に夏休みの宿題の「読書感想文」
これはとにかく地獄でしたね。笑
そのため、朝読書の時間も本を読んでるふりを
して寝こけていたり、ブックカバーだけ変えて
中身は英単語帳にしたり、色々な無駄な抵抗を
していました。
結果、年間での読書数は1冊とか、そのくらい
読書が嫌いだったのです。笑
何故嫌いだったのか思い返してみると、
活字が嫌いとか集中がそこまで続かないなど
理由はありますが、1番の理由としては、
「明確な学びたいことがない」
ということだったのかもしれません。
特段何かを学びたい、吸収したいという
意識がなかったのでしょう。
昔からとにかく「知識欲」は強い方でしたが、
自分が興味のあることしか学びたくないという
「バイアス」があったように思います。
損得勘定も強いことから、自分に意味のある
ことに繋がらないことはやらないといった
思考が働いていたのかも知れません。
そのため、朝読書でも新書を読んで学べること
より、カバーをかけて目の前の受験のために
英単語を見たほうが結果が得られると思い
読書をしていませんでした。
その時の自分の知識欲に上手く作用するものに
読書は当てはまってなかったのです。
そこから、読書自体が自分を満たしてくれるもの
という認識がなくなり、長らく読書をする習慣が
ありませんでした。
そんな読書嫌いの私ですが、今秋人生初めての
「読書の秋」
に挑戦しました。笑
9月と10月の2ヶ月間で読了した書籍数はなんと
15冊!!
1年間に1冊しか読むことができなかった私に
とっては快挙な数字です。笑
友人におすすめされた書籍もリストにメモは
していましたが、すべてメモしてスルーしていた
私です。笑
何がここまで私を突き動かしたのか考えて
みました。
これまで本を読むことが嫌いな理由は、
「明確な学びたいことがなかった」ことです。
その反対で、今の私自身は
「学びたいことが明確化している」
という状態だと客観的に感じました。
これは将来の道筋がぼんやりと見えてきて、
今何を学ぶべきなのかを考えた時に、読書が
有効な手段であったからだと思います。
今までは目的や目標が明確ではなかったため、
何となく役に立ちそうな資格勉強に励んだり
していた日々でしたが、ぼんやりでも明確に
なってきている今、実際に行動に落とし込んで
いくと、それが読書という手段であったのです。
昨日の投稿のとおり、読書は間接的なメンター
材料に十分なり得ます。
なぜ学びたいことを充足する手段として、
読書を取り入れることができたのか。
それは、
『本は学びたいことが体系化されている』
からです。
我々の頭の中では、個々の情報や知識をネット
検索などで得ようとすると、それぞれが個別の
引き出しにしまわれ、学んだことに繋がりが
生まれづらいように感じます。
一方、本は必要な情報や知識を一連の流れで
整理されており、全てが集約されています。
そのため個々に学ぶより、全てを整理して、
一連の流れで頭の同じ引き出しにいれられる
と感じたのです。
このイメージ伝わるでしょうか…
また、その情報や知識は成功者である方が
体系化してくれた成果物です。
学びたいことを効率的に取り入れることが
できるのは本だと確信した瞬間でした。
読書を習慣化している人には、何を当たり前の
ことをコイツは言ってるんだと思われるかも
しれませんが、本という便利なツールを使わず、
散乱した情報を個々にかき集めていた私にとって
大きな気付きでした(笑)
実際に読書を始めて、学びたいことを効率的に
取り入れることができ、実用にも繋がっている
と実感しています。
この毎日noteも読書から体系化された情報を
参考にさせてもらっていたりしますしね。
読書で得た情報を1つ1つ自分の引き出しに
しまっていくのではなく、体系化された情報
である本の内容すべてを1つの引き出しにしまう
このような感覚で読書をしてみてはいかがで
しょうか。
少しファジーな内容すぎましたかね。
今日はあまり上手くまとめられませんでした。
こんな日があってもいいか!
それでは。