天正17年(1589)3月9日は聚楽第の壁に落書があり秀吉が関係者を六条河原で磔刑にした日。落書の正確な記録はないが政権や秀吉個人を揶揄したものとされる。警備担当者、容疑者だけでなく、その家族、家があった町民など60名以上が処刑された。今でも独裁国家では当たり前なのかもですが…。
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