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「誰が言うか」に動かされる

Twitterでつぶやいた。

「何を言うか」よりも「誰が言うか」


結構話題になる問題だと思う。

当たり前の話ではあるが、私がTwitterでつぶやく「おはよう」とスーパースターな有名人がTwitterでつぶやく「おはよう」では反応が全く違う。

きっと「いいね」の数も「リツイート」の数も何倍、何十倍、何百倍のレベルで違うはず。同じことを言っているにも関わらず。あぁ、無情。

これこそまさに「何を言うかより誰が言うか」だ。


もちろん何者でもない人間による「何を言うか」にこだわった発信によってそれがバズり、多くの人を動かす可能性はある。だけどその可能性って結構低い。

結局は我々は「誰が言うか」によって動かされている部分が大きいのだ。

「あの人が言っているから本当なんじゃないか」
「あの人が言うから信じてみよう」

じゃあどうしたら「誰が言うか」の「誰」になれるんだろうか。

今現在何者でもない自分は一生「誰」にはなれないんだろうか。




私はそうは思わない。

何者でもない人が「誰」になるためには、「信頼の継続」を行っていくことでやがて誰かにとっての「誰」になるんじゃないかと思っている。

それはつまり、誰にだって「誰」になるチャンスはあるということ。


そもそも考えてみたい。

今の時点で「あの人が言っているのであれば、、」という「誰」の存在になれている人だって生まれながらにしてその位置に立っていたわけではないはずだ。

その位置に至る過程で、周囲が信頼したくなる/任せたくなる/共感する「何」を言い続けてきたんだと思う。そしてそれを行動で実践し続けてきたんだと思う。

ここで大事なのは「何」の部分を継続すること。

1回きりの「何」じゃ、名前も知られていない、信頼も築かれていない人のつぶやきなんて一瞬にして通りすぎてしまう。継続的に継続的に言い続け、体現しつづけることで最初は興味がなかった人たちも「あれ?」と思うようになり、次第に興味をもつようになり、気づけば信頼しているなんてこともあるだろう。

最初は「○○を言っている人」という状態から、次第に「○○を言っている誰々」という認識のされ方になり、最終的には「誰々が言っている○○」の域にまで達する。

「誰」は1日にして成らず。

信頼の継続、発信の継続によって徐々に立ち位置が変わってくるんだと思う。だから自分の言葉で誰かを動かしたいと思ったとき、そこに「今すぐ動かせる!?画期的な方法!!」みたいなものなんてのはきっとなくて、大事なこと、伝えたいことを言い続け、体現し続けるという地道な行動こそが一番の近道なんじゃないかな、と思ったりする。


正直noteもそうだった。

始めたての頃なんかきっとほとんどの人の目にとまらなかった。いろんな人が「何か」を言っている中で、自分の「何」は埋もれてしまって流される

きっと継続できない人の多くは自分の理想と現実のギャップに苦しみ、耐えられず、離脱していく。「誰」は一日にして成らず、なのに。

私はnoteを書くことが楽しかった。だから結果が出なくても継続できた。継続していく中で次第に密な関係性というものができていった。密な関係性というのはきっとその人にとっての「誰」になれているということだろう。

さらに継続していく中で、さらに密な関係性というのは広がっていき、今に至る。ありがたいことに始めたての頃より多くの方に見ていただけているし、スキをいただいている。きっと始めたての頃よりは誰かにとっての「誰が言うか」になれているんじゃないか、と思う。


でもせっかくならもっと「誰が言うか」になってみたい。

自分が本当に伝えたいことが出てきたときに、自分の声によって少しでも多くの人のプラスになれたらと思うから。

でもそのためには口だけじゃだめだ。

だからこれからも、継続が欠かせない。



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塩浦良太
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