配られたカードの中で勝負する。
「困った時は名言に頼れ」
これは勝手に自分の「座右の銘」ならぬ「noteでの掟」にしている。
どんなに考えたってテーマが浮かばない時はある。そんな時は先人の言葉を借りる。それを深掘りする。これに尽きる。
だって”いい言葉”だから残っているのであって、自分がいいと思うものを広く届けていくというポリシーには合っている。
と、言い訳はここまでにしておいて(笑)
今回力を借りる名言は、
「配られたカードで勝負するしかないのさ」
だ。これはスヌーピーの名言。
そもそもスヌーピーにストーリーがあるのを知らなかった。しかもめちゃくちゃいいこと言っている。
平等にしろだとか、スタートラインを同じにした方がいい、などという声はあるけれど人によって配られる「カード」が違うのは現状の社会だ。
裕福な家庭に生まれれば最初からお金はあるし、逆に貧乏なところに生まれたら裕福な家庭に比べたらお金は少ない。
そりゃお金がある方が選択肢は広がるし、何でもチャレンジできる機会は多い。
逆に貧乏であるとやりたくても出来ないことがあるし、そもそもそういった挑戦の機会があることすら気づかない、知らないことだってある。
その時点で「平等」というのは不可能に近い。
じゃあ子どもがどっちの環境で生まれるのがいいか選べるのかというとそんなわけはない。
生まれてきたときに家庭環境のカードは配り終わっている。
配られたカードを悩んでいても、基本的にそのカードが変わることはない。配られたカードに悩むより「配られたカードで勝負する」と割り切ったほうが前向きだし、道は開けるような感じがする。
そんなことをスヌーピーが教えてくれている。
ここで、何度も書いたことがあるそれこそ私の「座右の銘」とも言えるものを紹介する。それが、
「これまでがこれからを決めるのではなく、これからがこれまでを決める」
である。
人間どうしてもうまくいかないと、過去に原因を求めてしまう。だってその方が楽だから。でもそれってすごく無意味で。過ぎたことだからもう自分にはコントロールできないことで。
「そうだね、かわいそうだね」
しか周りも言えない。
結局は前を見ないといけないわけで、自分がコントロール出来るものを見ないといけないわけで。
「これから」をいいものに出来れば、「これまで」の辛い思い出も、”美化”とまではいかなくても無駄ではなかったと感じられるかもしれない。
そして未来であれば、自分次第で変えられるチャンスがある。
「配られたカードで勝負する」って決めてしまうと、主導権は自分になるから結果をコントロールできるようになる。
しかしただ闇雲に勝負するのは分が悪い。
なんせカードは必ずしも「平等」ではないから。
まずは自分の「配られたカード」を徹底的に知る必要がある。そのカードの活かし方、強み、逆に弱み。
たとえそのカードに馬力はなくても、その力を最大限に活用できればどんな力強いカードにだって勝てる可能性はある。
だからまずは己を知ることから始めよ、だ。己を知ることで、これまで持っていた「思い込み」や「変な常識」から解き放たれることだってある。
上手くいかないと自分のカードを嘆きたくなる。
でも、配られた以上そのカードで戦うしかない。
そのカードで戦うことを決断できた時、初めて勝つための道は開ける。
スヌーピーは、過去ではなく今、そして未来と向き合う大切さを教えてくれている。