フッ軽さと思慮深さ
たくさんたくさん考えて悩んで、そんなことを積み重ねながら生きていきたいなぁと思う今日この頃。
でも考えるってすごくいいところがある一方で、危うさも持っています。
たくさん考えたことがある人ならわかるかもしれないけど、どんどんどんどんツボにはまっていく感覚、そこから抜け出せなくなっていく感覚です。
で気づいたら疲れちゃう、みたいな。
会話していないのに、自分の頭の中ではたくさん会話が繰り広げられていてそれでお腹いっぱいになる感じ。で、動けなくなるみたいな。
だから例え考えに考え抜いたとしても、いつまでも忘れたくないことがあって。それがタイトルにも書いたように
「フッ軽さ」と「思慮深さ」
なんです。
これまで書いていることとちょっと矛盾するかもしれないけど、考えているだけじゃ正直何も生まれません。それはただ材料を揃えてるだけで、肥料を揃えてるだけで。
で、どんどんどんどん妄想が膨らみます。
「これがどんな風に育つかな」「台風来たらどうしよう」みたいな。
でもそれって全部思い込みです。
思い込みと思慮深さの違いって、主観的な判断か、客観的な結果に基づく判断か、という風に言われています。客観的な分析を行うために必要なのは、”結果”です。で、結果に必要なのは”行動”です。
そう考えた時に、「フッ軽さ」と「思慮深さ」って繋がってるんだなと思いました。身体的にも精神的にもフッ軽でいることで、どんどん経験が増え、そこから得る学びが増えます。
学びが増えることで検討する材料も増え、様々な可能性の中から物事を判断・分析できるようになります。
子どもの頃はすべてが新しくて、興味深くてめちゃくちゃフッ軽だったと思ってます。でもそこから段々いろんな経験をして、良くも悪くも大人になって腰が重くなっていきます。自分が知っていることしか知ろうとしなくなっていきます。
でもそんな大人はつまんないなと。
そんな頭のカタい大人になりたくないなと。
いつまでも常に身体も心も若くいられるようにするためにも、
「フッ軽さ」と「思慮深さ」は永遠のテーマです。
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