法の下に生きる人間〈第31日〉
これまでの全30回、認知症基本法などタイムリーな話題に触れながら、このシリーズを進めてきた。
ここからはしばらく、大きなテーマに入ることにしよう。1週間完結ではなく、数ヶ月のスパンになるだろう。
このシリーズを始めるときに、最初に触れたのが日本国憲法であるが、その憲法に基づき、「教育の憲法」というべき教育基本法が制定されていることをご存じだろうか。
教育基本法は、日本が第二次世界大戦で敗戦した2年後の1947年3月31日に公布され、同日に施行された。
ちなみに、日本国憲法は、公布されたのが1946年11月3日(=明治天皇の誕生日)であったが、施行は教育基本法より2ヶ月遅れの5月3日であった。
もうひとつ、注意しておきたいのは、今の教育基本法は、当時の教育基本法ではない。2006年12月22日に改正教育基本法が公布・施行されたのである。
しかも、一部改正ではなく、全部改正だったので、当時の教育関係者の間では賛否両論が起こった。
日本国憲法改正への布石だとも批判された。
なぜ、この教育基本法が重要なのかというと、単に「教育の憲法」という位置づけだからという理由で片付けられないからである。
私たちが自主的に学校に行き、楽しく学んでいるという視点で「教育」をみるのではなく、日本という国家が、他国と対等にわたりあうために国民をどのように教育すればよいかという見方が必要である。
だから、私たちは小学校6年間、中学校3年間は義務教育期間となっており、その期間に学ぶ内容は全国どこの公立学校でも大きな差はない。
学ぶ内容も国が決めているわけであり、学校の先生は、文部科学省が提示した学習指導要領に則って、国のもとで子どもの教育に携わるわけである。
学習指導要領に法的拘束力はないと言われているが、学校で配られる教科書や参考書は、教科書会社が学習指導要領に基づいて作ったものであり、文部科学省の検定を受けて合格したものが各学校で採用されている。
さて、日本国憲法はともかく、教育基本法がどのようなものか、昔と今で何が変わったのか、戦前の教育勅語はどういったものだったのか、現代に生きる私たちは理解できているだろうか。
墨塗りの教科書が使われた戦後間もない時代は、何が国家にとって都合が悪かったのかなど、教育について語ることはたくさんある。
ちょうど学問の秋も近いので、たっぷりと時間をかけて解説していくことにしよう。
では、引き続きお楽しみください。