古典100選(16)方丈記
清少納言の『枕草子』とともに、日本三大随筆の一つとされている『方丈記』は、無常観が随所に語られている。
鴨長明が書いた作品であり、平安時代末期の実際の災害などの様子も描かれており、鎌倉時代初期に成立した。
現代の私たちの生活にも通ずるところが多いので、今日は『方丈記』のある場面を取り上げよう。
では、原文を読んでみよう。
①もし、己が身数ならずして、権門のかたはらに居るものは深く悦ぶことあれども、大きに楽しむにあたはず。
②嘆き切なる時も、声をあげて泣くことなし。
③進退やすからず、立居につけて恐れをののくさま、たとへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。 ④もし貧しくして富める家の隣にをるものは、朝夕すぼき姿を恥ぢてへつらひつら出で入る。
⑤妻子、僮僕の羨めるさまを見るにも、福家の人のないがしろなるけしきを聞くにも、心念々にうごきて時としてやすからず。
⑥もし狭き地に居れば、近く炎上する時、その害をのがるゝことなし。
⑦もし辺地にあれば、往反わづらひ多く、盜賊の難はなはだし。
⑧また、勢いあるものは貪欲ふかく、ひとり身なるものは人に軽めらる。
⑨財あればおそれ多く、貧しければうらみ切なり。
⑩人を頼めば身他の有なり。
⑪人をはぐくめば心恩愛につかはる。
⑫世にしたがへば身くるし。
⑬したがはねば狂せるに似たり。
⑭いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし、玉ゆらも心をやすむべき。
以上である。
①②③の文では、自分の隣の家が権力者の家だったら、喜びや悲しみがあっても大きな声で感情を爆発させることもできず、鷹の巣に雀がびくびくしながら近づくようなものだと言っている。
また、④⑤の文では、富裕層が隣人だったら、朝夕に顔を合わせるにも、着ている服から恥ずかしさを感じるし、相手からも下に見られて心が落ち着かないと言っている。
⑥から⑬までの文をざっと読んでみると、こんな感じで書かれている。
都会のように狭い所に住むと火災のときに逃げにくい、地方に住むと往来の交通の便は悪く、泥棒にも入られやすい、調子に乗っている者は欲深過ぎるし、独り身だと人から軽蔑される、財産があるといろいろとトラブルが多く心配になり、貧しいと恨みがましくなる。人を頼れば、その人に従わざるを得なくなるし、人に愛情を持って接しようとするといろいろと気苦労が絶えない、世間体を気にしてもしんどいし、逆に世間に合わせないと変人扱いされる。
⑭でまとめているように、とにかくどこに住もうが、どんな仕事に就こうが、心が休まるような世の中ではないと言っている。
それは、今の時代においても、同じ人間の社会に生きている以上、変わらない。
だからこそ、むしろ「人は人、自分は自分」と割り切って、自分が間違ったことさえしていなければ、他人の目など気にせず堂々とすればよい。
人付き合いも、無理して気を遣うくらいなら、気の合う人とだけ関わればよいのだ。