古典100選(65)紫文要領

今日は、本居宣長の再登場である。

1763年、本居宣長が33才のときに書いた『紫文要領』(しぶんようりょう)という作品であるが、これは源氏物語の注釈書である。

「紫」式部が書いた「文」章の要領ということで、「紫文要領」という作品名が付けられた。

では、原文を読んでみよう。

①この物語は、まづ世にありとあることにつきて、見るところ、聞くところ、思ふところ、触るるところの「もののあはれ」なる筋を見知り、心に感じて、それが心の内に籠(こ)め置きがたく思ふよりして、物に書きて心を晴らしたるなり。②すべて心に思ひむすぼるることは、人に語り、また物に書き出づれば、そのむすぼるるところが解け散ずるものなり。
③さて、その紫式部が常に心に思ひ積もりたる「もののあはれ」をこの物語にことごとく書き出でて、なほ見る人に深く感ぜしめむがために、なにごとも強く言へるなり。
④されば、「もののあはれ」なることの限りはこの書に漏るることなしと知るべし。
⑤されば、これを読む人の心に、げにさもあるべきことと思うて感ずるが、すなはち、読む人の「もののあはれ」を知るなり。
⑥さやうに感ぜしめむがために、「もののあはれ」をことさらに深く書きなしたるものなり。
⑦深く書きなしたるゆゑに、読む人は感じやすくて、「もののあはれ」を知ることやすくして、深きなり。
⑧たとへば、人々のもの思ひしてわりなく深く思ひ入りたる心のやうを書けるを見て、げにさもあるべきことと思はるるは、すなはち、その人の心を推察して「もののあはれ」を知りたるなり。
⑨その推察するゆゑは何ゆゑぞといふに、そのもの思ひになるべきいはれを詳しく書けるゆゑに、それを見てその心を推察するなり。
⑩よろづのこと、皆かくのごとし。
⑪そのこととその心とを引き合はせて、かやうかやうのことに当たりてはかやうかやうの思ひがあるものなり、かやうかやうのことを聞きてはかやうかやうに思ふものなり、かやうかやうの物を見てはかやうかやうの心がするものなりと、よろづのことを推察して感ずるが、すなはち、物語を見て「もののあはれ」を知るなり。
⑫かくのごとくに、物語の中のあらゆること、人々のしわざ、人々の心をよくよく推察し心得る時は、いにしへの風儀人情を知ること、掌(たなごころ)を指すがごとし。
⑬花見る時の心はかやうのもの、月見る心はかやうのもの、春の心はかやうかやう、秋の心はかやうかやう、郭公(ほととぎす)を聞きたる心はかやうのもの、恋する時の思ひはかやうかやうのもの、逢はぬつらさはかやうのもの、逢ふうれしさはかやうの心と、詳しく書きあらはしたれば、それをわが心にことごとく引き当てて推察し、げにさもあるべきことといふ意味をよく心得れば、それが「もののあはれ」を知りたるにて、今、歌詠む時、大きなる益あることなり。
⑭歌の出で来るもとは「もののあはれ」なり。
⑮その「もののあはれ」を知るには、この物語を見るにまさることなし。
⑯この物語は、紫式部が知るところの「もののあはれ」より出で来て、今見る人の「もののあはれ」はこの物語より出で来るなり。
⑰されば、この物語は「もののあはれ」を書き集めて、読む人に「もののあはれ」を知らしむるよりほかの義なく、読む人も「もののあはれ」を知るよりほかの意なかるべし。
⑱これ歌道の本意なり。
⑲「もののあはれ」を知るよりほかに物語なく、歌道なし。
⑳ゆゑに、この物語のほかに歌道はなきなり。
㉑学者よくよく思ひはかりて、「もののあはれ」を知ることを要せよ。
㉒これ、すなはち、この物語を知るなり。
㉓これ、すなはち、歌道を悟るなり。

以上である。

最後のまとめにもあるように、「もののあはれ」を知ることによって、源氏物語の内容を私たちは理解できるようになり、また当時の人々が詠んだ和歌に込められた思いにも近づくことができるのである。

「もののあはれ」って何なのかということが出発点になるのだが、それを歴史上初めて概念化して提唱したのが、ほかならぬ本居宣長なのである。

だから、もっと勉強したい人は、まず、この『紫文要領』が岩波文庫で出版されているので、入手することである。

ただ、アマゾンでも品切れ状態なので、図書館で借りたほうが早いかもしれない。

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