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『前進、もしくは前進のように思われるもの』(『号泣する準備はできていた』より)

『前進、もしくは前進のように思われるもの』(『号泣する準備はできていた』より)
江國香織著


主人公(長坂弥生)は、空港にアマンダを迎えに行く途中、夫との冷えた関係や、認知症の母親(夫の)の老齢の猫を夫が「海に捨てた」と言ったことを思い出す。かつては自信に満ちた弥生だったが、夫への不信感が募り始めている。アマンダと合流すると、彼女はボーイフレンドのジェレミーと共にホテルに泊まると告げる。そこで弥生は、心の底から「すがすがしい」と感じながら、海に捨てられたとされた猫の話をする。

何だかよくわからない物語なので、キーワードを挙げてみる。

①前進すること
1. 自分自身をより深く理解し、潜在能力を引き出すプロセス。

2. 時間と共に状況が変化する中で、前進することはこれに適応し、新たな環境に対応する能力を示す。

②前進のように思われるもの
1. 外見上は忙しく活動しているものの、実質的な変化や成長が伴わない場合、これは表面的な活動に過ぎないことを示す。

2. 前進しているように見えても、心の中で葛藤や不安を抱えている場合、実際には進展がないことを意味する。このような内面的な葛藤は、自己理解や自己受容の不足から生じる。

3. 自分自身を納得させるために、前進していると感じることは、自己欺瞞の一形態となる。これは、現実を直視することから逃避し、変化を恐れる心理的な防衛機制として機能する。

4. 変化に対する恐れや不安から、実際には前に進むことを阻まれる。この場合、前進することが必要であると理解していても、心理的な障壁が存在することになる。

5. 時間が経過する中で、何かを成し遂げたように感じる一方で、実際には本質的な進展がない場合、これは人生の有限性や時間の流れに対する認識の問題を反映する。

③老齢の猫
1. 時間の流れや老いを象徴する。時間の有限性や、成長と変化の不可避性を考えるきっかけとなる。

2.生命の循環や死の不可避性を象徴する。老いは死に向かう過程であり、同時に生命の再生や新たな始まりの準備でもある。

④海に捨てる
1. 解放や新たなスタートを求める強い意志を象徴し、重荷を下ろすことによって心の平穏を得ることを意味する。

2. 海は変化し続ける存在であり、捨てたものが海の中で消えていく様子は、無常の概念を象徴する。物事は常に変わりゆき、固定されたものは存在しないことを示す。

3. 自然の一部としての自分を認識することや、自然の力に対する謙虚さを表す。

4. 海は生命の源でもあり、捨てられたものが新たな生命を育む土壌となる。この観点から、海に捨てることは再生の象徴となる。古いものが新しい形で生まれ変わる可能性を示唆する。

5. 海に物を捨てる行為は、感情の解放としても解釈できる。怒り、悲しみ、失望などを海に託けることで、感情を外に出し、浄化する手段となる。これは、心理的な癒しのプロセスとしての象徴でもある。

⑤痴呆症
1.人間の心や身体は変化し続け、老いとともに変わることを示される。この病気は、生命の儚さや、時間の流れに対する抵抗が無意味であることを示唆する。

2. 意識や認知の喪失は、人生の価値や意味についての深い哲学的な疑問を生じさせる。ひとは何をもって「存在する」と言えるのか、意識が失われることで私たちの存在はどう変わるのかという問いが浮かび上がる。

物語の主題は何か?

人生生きていくと、回りが変化していることに気付かされる。ものは、劣化し、ひとも老いていく、そして、自分自身は、変わらないと思っていると、自分を見失ってしまう。そういう時、大事なことは、変わらないものはないという現実を受け入れることなのだと理解した。唯一、変わらないものは神の愛ということなのだろう。

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