これからは「ディスカッション」よりも「パーカッション」の時代
ロッシーです。
会社で仕事をしていると、
「〇〇の案件についてディスカッションしましょう。」
という会議案内が来ます。
ほとんどの人は、「ディスカッション=議論」 というくらいの意味で使っていると思います。
さて、discussionの語源をネットで調べてみました。
議論は議論でも、「徹底的に意見や主張をぶつける」ニュアンスがあるわけです。
議論としては、そういうやり方のほうが良いのかもしれませんが、どうも私はそういうのが苦手なタイプです。
よく言われるのが、
「意見を否定しても、人格を否定するわけではない。だからガチンコで議論すればいい。」
というものです。
個人的には、
「うーん、そうはいうけどね・・・。」
と思ってしまいます。
本当に意見と人格を切り離せるのは、相当に知的レベルの高い人でないと無理だと思うからです。
ほとんどの一般ピープルは、意見を否定されたらムカついて反撃してきますし、自分の意見が不適切だと指摘されて「確かにおっしゃるとおりです。」とすんなり認めることは稀です。
そして、何を言うかよりは、誰が言うかを重視します。
頭では意見と人格を分ければいいと思っていても、そううまくはいかないのが現実ではないでしょうか。
そもそも、今のVUCAと言われるほど変化の激しい時代に、
「これが正しいんだ!」
なんていう確固とした主張ができる人というのは稀だと思います。
そこまで断言されると、強がって無理やり断言しているのか?と疑ってしまい「なんか怪しいな」と思ってしまいます。
誰だって先が読めないわけですし、確固たる主張ができるほどの根拠を得ることもなかなか難しいです。
そんな状態であれば、主張をぶつけあうよりも、まずはメンバー間で色々な考えを出してみて、そこから
「うーん、それが正しいかどうかは分からないけれどやってみよう。」
という風にするしかないように思います。
そういう意味では、これまでの議論の仕方が主張をぶつけあう「discussion」的なものだったとすれば、今後は「パーカッション(percussion)」的な議論が適しているように思います。
つまり、主張するのではなく、まずは色々な音を鳴らしてみる(=意見を出す)ということです。
参加者は、それぞれがマラカス、タンバリン、ドラム、シンバル、太鼓、カスタネットなど、多種多様な楽器だと考えてみてください(別に打楽器に限定する必要もないですが)。
そこに上下関係はありません。楽器としてはどれも対等です。
そして、それぞれのメンバーがまずは音を出してみる。
そのうちに、「あ、なんかいい感じだね。」となれば、まずはそれでやってみる。
そんな感じです。
音を出すこと自体に正しいも何もありません。
あいつの音は正しいとか、正しくないとか優劣もありません。
だから、お互いに主張をぶつけあう必要もありません。
そういうpercussion的な議論の仕方のほうが、これからの時代には向いているように思います。
よくよく考えれば、これって新しい考えではないんですよね。
私たちは、よく「打合せ」という言葉を使いますが、「打合せ」という言葉は、「雅楽」を演奏する前の「楽器の音合わせ」です。
そこには、あくまでもメンバー間で音を合わせることが主であり、徹底的に主張しあうという意味はありません。
ただ、
「そんな生ぬるいやり方で議論しているから何も決まらないんだよ!きっちりお互いに言いたいことをストレートにぶつけないとダメ!」
という風に考える人もいるでしょう。
もちろんそういったdiscussion的なやりかたを否定するわけではありません。
でも、その場合にはよほど上手くやらないと、お互いに禍根が残りがちです。
ストレートに主張をぶつけあえるというのは、以下のような前提がなければ難しいと思います。
それは、
・参加者が意見と人格とを区別できるほど知的レベルが高い
・感情的にならずに、冷静に伝え方を考えて意見ができる
・議論において、参加者が対等である
・心理的安全性の確保がなされている
ということです。
ただ、これってかなりハードルが高いと思いませんか?
無理にハードルの高い議論をするよりは、percussion的な議論のほうが心理的な抵抗も小さいと思います。
音をぶつけあうのではなく、まずは音を出してみる。
そこから何かが始まると思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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