【書評】ディケンズ『二都物語』を読み、「死にがい」について考えた。
ロッシーです。
かの有名なイギリスの文豪、チャールズ・ディケンズの『二都物語』を読みました。
ディケンズの小説を全て読んでいるわけではありませんが、私はこの『二都物語』が一番好きです。
なぜなら、シドニー・カートンという登場人物を通じて、
生きるとは何か?
幸福とは何か?
ということを考えさせられるからです。
登場人物のひとりである、シドニー・カートンは、自分が愛する女性が愛する男性(ややこしいですね)を救うために、身代わりとなって自分の命を犠牲にします。
彼の人生は幸福なのでしょうか。それとも不幸なのでしょうか。
それは読む人の価値観に委ねられます。
それは、同時に読者にも同じ問いを突き付けてきます。
「あなたは幸福ですか?」
「あなたはいま生きていますか?」
と。
シドニー・カートンは、死んだように生きている自分自身に愛想がつきていました。
彼はどこにも「生きがい」を見つけられませんでした。
しかし、最期の最期で、彼は「死にがい」を見つけました。
さて、
「生きがいを見つけるのが大事」
と良く言われます。
しかし、本当に人生において必要なのは、「死にがい」ではないでしょうか。
生きがいがある人生は確かに素晴らしいでしょう。
でも、ある日自分が死ぬことになったとしたら、果たして後悔なく死ぬことができるのでしょうか。
生きがいがあればあるだけ、この世にとどまりたいという想いも強くなってしまい、より生に固執することになってしまうのではないでしょうか。
でも、死にがいであれば、そのために死ねるわけですから、生に固執することはないでしょう。
生きがいとの一番の違いはそこにあります。
しかし、死にがいというのは、生きがいよりも見つけるのは困難な気がします。無理に見つけるものでもなく、見つけてしまうものなのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!