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【書評】『すばらしい新世界』労働時間が減っても幸せにはならないのか?
ロッシーです。
ディストピア小説として名高い、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を読みました。
以前、光文社古典新訳文庫版を読んで記事も書いたのですが、今回はハヤカワepi文庫版を読みました。
相変わらず面白い!
『1984年』が好きな方にはぜひ本書も読んでほしいです。ユートピア的ディストピア小説として楽しめるはずです。
読むと毎回新たな発見があるのですが、今回は、労働時間について統制官が語る部分がとても興味深かったです。
統制官というのは、物語の世界を文字通り統制する者です。世界は、10人の統治者による「世界統制官評議会」のメンバーにより支配されている設定です。
ただし、支配といっても強圧的な支配ではなく、誰もが幸福を感じ、苦痛から解放された世界となっており、統制官は言ってみれば羊飼いのような役割といえるでしょう。
さて、統制官はこう言います。
技術的に言えば、下層階級全員の労働時間を一日3時間か4時間にまで短縮することは造作もない。しかし、そうなったとして、彼らはいまより少しでもしあわせになるだろうか?いや、ならない。その実験は、いまから1世紀半も前に行われている。(中略)結果は?社会不安が起こり、ソーマの消費量が大きく増えた、ただそれだけ。一日あたり3時間半プラスされた余暇は、しあわせの源になるどころか、人々はそれから逃れるためにソーマの休日をとることを強いられたんだ。
ソーマというのは、副作用のない麻薬のようなもので、誰もがこれを使っています。いわば、社会の安定を保つために必要不可欠な薬物です。
私はサラリーマンですが、
「なぜ1日8時間労働がなくならないのだろうか?」
と前々から疑問をもっていました。でも、これを読んで「なるほど!」と変に腹落ちしました。
一般庶民を暇にさせたら、社会が不安定になるから忙しくさせておく必要がある、という観点は妙に説得力があります。考えてみれば、学校だってもともとはギリシャ語の「スコラ(scholē)」が由来ですが、その意味は「閑暇」「ひま」です。要するに、暇にさせると人間はロクなことをしないという人類史的知見があるのかもしれません。
だから、むやみに時間を余らせるよりは、それなりに忙しくさせておいたほうがよいという隠れた理由により、1日8時間労働はなくならないのかもしれません。
とはいうものの、現代社会においては、将来的に週休3日制が当たり前になり、どんどん労働時間は減っていく方向のようです。
そうなったときに、本当にそれは幸せなことなのだろうか?と思いました。
そんな将来の話ではなくとも、サラリーマンの場合は、定年退職をした後にたっぷり時間ができてどうするのか問題もあります。
余った時間を楽しむことができず、「とにかくこの時間をなんとかしてやりすごさないと」となってしまう人も沢山いるでしょう。
そういう人達にとっての余った時間は、仕事という苦痛から逃れたけれども、結局は退屈という苦痛に置き換わっただけに過ぎないことになります。
今後労働時間が減っていく傾向にあるとしたら、余った時間を楽しめる人と、うまく楽しめない人とで、格差が顕在化するような気がします。
うまく楽しめない人は、「みんなが楽しいと思っていること」を単に真似するだけになるでしょう。つまり、他人(産業界)が楽しいと提供してくるものを消費するだけになるわけです。
しかし、そういうものを消費するだけであったとしても、実際に自分が楽しめていれば問題はないという見方もできるでしょう。
問題なのは、「やっぱりなんだか退屈だ…」となってしまうケースです。このほうが深刻でしょう。
その解決策は非常に難しいです。何か新しいことにチャレンジして、自分が楽しいと思えるようなことを見つければいいのでしょうが、それはそれで大変でしょうから、苦痛と変わりありません。
となると、結局のところ仕事の時間だろうが余った時間だろうが、いずれにおいても苦痛を避けることはできないのだ、というふうに諦めてしまうのも手なのかもしれません。
ただ、諦めたからといって、苦痛が去ってくれるわけではありませんから、苦痛をなるべく低減することを重視する生き方を目指すようになるのかもしれません。積極的に楽しもうとするのではなく、いかに苦痛を減らすのか、という消極的なスタンスですね。なんだか、仏教やショーペンハウアーの哲学に近づいてきました(笑)。
本書のようにソーマでもあれば別ですが、そのような便利なものがない現実世界において、私達は苦痛に立ち向かうのか、それを受け入れてなるべく苦痛を減らすのか、という選択肢しかないのかもしれません。
私自身は、余った時間があっても大丈夫です。読書ができればOKですから。私にとってのソーマは読書なのかもしれません。
ちなみに、本書の世界では、読書というものは忌避されるべきものとして、幼児期から「本を嫌うよう」に反応づけがなされます。読書という行為には、世界の安定性を損なう危険性があるとみなされているからです。愚民化政策の一貫ですね。
いま私が生きているこの世界では読書ができるので良かったです。
あなたにとってのソーマは何ですか?
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!