【書評】コンラッド『闇の奥』⑥
ロッシーです。
前回の続きです。
コンゴ河オデッセイ
やっとのことで、マーロウはクルツがいる奥地出張所に向けて出発します。リベットが届いたという記載は小説にはありませんが、おそらくその後無事に届き、船を修理できたのでしょう。
中央出張所を出発してから2カ月後に奥地出張所に到着したということなので、相当長期間にわたる船の旅だったことが分かります。
「あの河をさのぼるのは、世界の一番初めの時代へ戻るのに似ていた。」
「どこかうんと遠くの別の世界へきてしまったように思う。」
マーロウはそんな風に語っています。もはや異世界に紛れ込んでしまったような感覚です。
※ちなみに、この小説を参考にして、舞台を宇宙にしたのが映画『2001年宇宙の旅』(原題は『2001: A Space Odyssey』)と言われています。
マーロウは、浅瀬や沈んでいる木にぶつからないよう細心の注意を払いながら河の上流に進んでいきます。もし何かにぶつかれば、安普請の蒸気船など一巻の終わりです。
船に乗り込んでいるのは、マーロウ、支配人、3,4人の巡礼(つまり白人)、20人ほどの人喰い人種です。人喰い人種みたいを同乗させたら危ないだろうと思いますが、なぜか乗せているのはちょっと面白いですね。
「河の道筋は前方でちゃんと開けていくが、船のうしろでは次々と閉じていくように感じられた。まるで密林が両側からすっと歩み寄って、俺たちが帰れないようにしているといった感じだ。俺たちは闇の奥へますます深く入り込んでいった。」
こういう描写はうまいなぁと思います。まるで船がコンゴ河という得体の知れない大きな蛇に飲み込まれ、蠕動運動によりその体内の奥深くに徐々に運ばれていくかのような印象を受けます。
この異様な世界を進む途中、地面を踏み鳴らして踊り狂う原住民の集団に遭遇します。
「彼らは、人間とは思えないというわけじゃなかった。わかるかな、そこが最悪なんだ・・・。ああいうのも非人間的とは言えないんじゃないかと思えることがね。」
「だがぞっとするのは、彼らも俺たちと同じように人間だと考える時だ。」
このように、この時点では、マーロウは彼ら原住民と自分とは別個の存在として捉えていることが分かります。
そのような光景に遭遇する中で、マーロウはわけが分からなくなってきます。
「俺たちはあまりにも遠くまで来てしまい、普通の世界を思い出せなくなっていたからだ。原始の夜を旅していたからだ。」
しかし、マーロウはボロ船を前に進めなければなりません。その仕事に没頭することで、なんとか気を保ち続けるのです。
「われわれを救ってくれるのは効率。効率を追求する懸命の努力だ。」
そうマーロウは自分に言い聞かしていたのかもしれません。
小屋を見つける
奥地出張所までまだ80Kmの地点で、小屋を見つけます。きちんと積んだ薪の山もあり、その上には
「薪進呈。急げ。用心して近づくこと。」
と書いてあります。小屋の中には1冊の本がありました。その本の題は「操船術研究」で著者は英国海軍航海長でした。
「つい惹き込まれてしまうような本じゃない。だが、ひと目見てわかるのは、一つの目的に打ち込むひたむきさと、正しい仕事のやり方への真剣な関心であり、それがこの何十年も前に書かれた書物の地味なページに、単なる専門的知識の光を超えた輝きを与えていた。」
とマーロウは絶賛します。そう、この本は資本主義の繁栄を担う偉大な英国的精神そのものなのです。そのような精神に欠けたろくでもない人間に囲まれ、理解のおよばない異世界の中にいたマーロウにとっては、この本は単なる本どころではなく、自分の価値観を共有できる存在との出会いだったのです。
「その本を読むのを中断するのは、古いつきあいの親友から引き離されるようなものだったよ。」
という記載からもそれは分かります。
クルツの出張所に近づく
その後、クルツの出張所まであと12Kmほどのところまで来ました。
夜になり、霧が立ち込め周囲の視界が遮られる中、途轍もなく大きな叫び声が突然あたりに響きわたります。聞こえるのは「声」だけです。
人喰い人種のリーダーがマーロウに「やつらを捕まえてくれ」と言います。捕まえてどうするんだ?とマーロウが聞くと、「食う」とのこと。彼らは長い船旅で猛烈に腹が減っているわけです。それに気が付いたマーロウは、なぜ人喰い人種の連中が自分達を襲わないのか不思議に思います。自分達を襲って喰おうと思えばできるのに、彼らはそれをしなかったわけです。
「いったい何が自制させるんだ?」
と、マーロウは彼らに対して神秘的な感情を抱きます。
それまでは、彼らと自分とは別個の存在と思っていたマーロウが、その見方を変えていく様子が見て取れます。
襲撃と黒人の死
霧が晴れてから、船は進み続けます。しかし、奥地出張所から2キロ半の地点あたりで、船は突然原住民からの襲撃を受けます。
その襲撃の最中、黒人の操舵手が殺されてしまいます。原住民の槍がろっ骨のすぐ下の脇腹に刺さってしまったのです。その黒人操舵手は、前任者の船長(原住民に槍で背中を刺されて死んだ)が仕事を教えてあげたのでした。
槍が刺さった場所はろっ骨のすぐ下の脇腹ですから、この槍は「ロンギヌスの槍」を意味しているのかもしれません。ロンギヌスの槍というのは、キリストの磔刑時において彼が息を引き取ったのかを確認する為に、脇腹を刺したとされている槍で、「聖槍」とも呼ばれています。
その黒人に仕事を教えてくれた前任者の船長も、原住民に槍で背中を刺されて死んでいます。本来であれば、同じ船長であるマーロウがその槍に刺されて死ぬはずだったところを、その黒人が身代わりになって死んだという解釈も成り立ちそうです。
だとすれば、その黒人は「自己犠牲」を払った聖なる存在=キリスト的存在 ということになります。であれば、ロンギヌスの槍と解釈するのもあながち間違いではないように思います。
マーロウは、その操舵手の死をひどく悼んでいることを、後に語ります。
「まるで死に別れる瞬間に互いが同じ親類同士だとわかったといった感じだった。」
とまで言っています。つまり、自分とは密接な存在ということになります。そして、自分とは密接な存在が身代わりとなって死ぬことにより、マーロウは悪魔との契約、すなわち命を失う運命から逃れることができたのではないかと考えられます。
そして、マーロウは、「あの男には自制心がなかった、自制心が。クルツと同じだ。」とも言っています。
つまり、操舵手の黒人とクルツの両者は、自制心のなさで類似性があることから、クルツも黒人と同様に死んでしまうことが示唆されます。
さて、原住民から攻撃を受けたことで、
「クルツももう死んでしまっているのではないか」
とマーロウは大きな失望に見舞われます。
「俺にとって、クルツとは一つの声だった。」
もはやマーロウにとって、クルツは目に見える実体のある存在ではなく、生霊的な存在になっていることが読み取れます。
船上での語りの場面に戻る
と、小説はここでテムズ河の船上の場面に戻ります。
マーロウはパイプに火をつけます。マッチが燃え、マーロウの痩せた顔が闇に浮かび上がります。そしてマッチが消え、またマーロウは闇に消えて、「声」だけの存在になります。
彼は言います。
「ここが一番説明しにくいところなんだ・・・君らはみな、職場と自宅という二つの住所に繋ぎ止められている。船が二つの錨で停泊しているようにね。」
マーロウにも、自分が体験したことの全てを伝えることはできないのです。老子の格言「知者不言、言者不知」(知る者は言わず、言う者は知らず)にも通用する気がします。本当に大事なことは、言葉では伝えられないのです。
そしてマーロウは言います。「俺はクルツの才能の幽霊を、最後に一つの嘘で鎮めたんだ」と。
「その嘘により、女性達をその麗しい世界にいられるようにしなくちゃいけない、そうしないと俺たちの世界がもっと悪くなる」とマーロウは語ります。マーロウは嘘をつくことで、邪悪なものを鎮め、世界を守ったということなのでしょう。
それはつまり、女性達の世界=資本主義社会に必要な理想 を守ったのだといえます。
さらにマーロウの語りは続きます。
「魔境は彼を捉え、愛し、抱擁し、血管の中へ入り込み、肉をむさぼりつくし、何か想像もつかない悪魔的な加入儀礼で彼の魂を自分の魂に繋げてしまった。」
「何もかもが彼のもの。だが、それは些細な問題だ。大事な点は、逆に何が彼をわがものにしていたか、どれだけの数の闇の力が彼を捉えていたかを知ることだ。」
「加入儀式を受けた生霊であるクルツは、未開の奥地から出てきたあと、完全に姿を消す前に、俺にすごい打ち明け話をしてくれた。」
このような描写からも、クルツは闇の力にとり憑かれ生霊のような存在になったことが読み取れます。その代わりに、クルツは悪魔との契約により象牙(=富)をいくらでも手に入れるパワーを得ます。クルツはスターウォーズ的にいえば「暗黒面」に落ちた存在ともいえるのかもしれません。
富を無限に得られるようになる力は、資本主義社会に生きる私達であれば、誰もが手に入れたい力といえるでしょう。
しかし、そのような強大な力を得てしまうと、それとひきかえに命を失うというのは古今東西お決まりのストーリーです。よって、クルツの運命は、死ぬことがほぼ確定というわけです。
今回はここまでで終わります。
Thank you for reading !