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【書評】ショーペンハウアーは言った。『人生とは、苦痛と退屈の間で生きること』
ロッシーです。
ショーペンハウアーの『幸福について』を読みました。
この本は、本当におすすめです。
幸福とは何なのか? という疑問を抱いている方はぜひ読んで欲しい一冊です。
作者は偉大なドイツの哲学者であるショーペンハウアーです。
彼はこう言いました。
「人間世界には困窮と苦痛が充ち満ちている。たまたま困窮と苦痛とをのがれた者があれば、至るところに退屈が待ち受けている。おまけに大抵は邪悪が人間世界の支配権を握り、愚昧(ぐまい)が大きな発言権をもっているとしたものだ。運命はむごく、人間はいじましい」
つまり、ざっくりまとめると、この世は
苦痛 or 退屈
という二つのチョイスしかないということです。
かなり極端味のあるハウアー先生のご意見ですが、言い得て妙な気もしませんか?
例えば、ド貧乏でその日暮らしの放浪生活をしている人がいたとします。
その人にとっては、放浪生活は苦痛でしかないでしょう。
逆に、お金持ちで何もしなくても暮らせる人が、「暇だからどこか旅行したいな~」と思って旅に出かけるとします。
その人にとっては、旅行は退屈を逃れる手段でしかありません。
しかし、結局のところド貧乏人もお金持ちも、やっていることは同じ「旅」です。
ド貧乏人は、日々が苦痛に満たされていますが、退屈を感じる暇はありません。
お金持ちは、苦痛は感じませんが、退屈を避けることはできないため、毎夜のパーティーや頻繁な旅行、買い物などをしなければならないかもしれません。
さて、上記は極端な例ですが、普通に仕事をしている私達だって似たようなものではないでしょうか。
平日は仕事で苦痛を味わい、休日には暇だから家族サービスと称してどこかに出かける。
1週間を見れば、苦痛と退屈の間をいったりきたりしているわけです。
「いや、私は仕事が楽しくてしかたがないですよ!」
という人も稀にいるかもしれません。
でも、いつもいつも仕事が楽しいのでしょうか?
そんなことはありませんよね。
つらくて苦痛が多い状態がつづき、ある節目でやっと達成感などを味わうことができ、そのときに幸せを感じるというのが実情だと思います。
しかし、その幸せは長続きはしません。すぐに慣れてしまうでしょう。
さらに幸せを感じようとすれば、もっと仕事をして苦痛を感じなければいけません。それがいやなら、退屈な状態を我慢しないといけません。
このように見てみると、苦痛と退屈の間でさまよい続け、そして死ぬのが私達の運命なのだという身もふたもない結論になるのかもしれません。
ハウアー先生はさらにこう言いました。
「人生は、われわれに課せられた厳格な授業であって、幸福な人生などというものはありえない」
悲観主義もここまでくると気持ちがよいですね。
幸福なんていうものは、追求するのは自由だけれども、それは蜃気楼のようなものだということです。
ハウアー先生からすれば、世の中は苦痛と退屈に満ちているのであって、幸福などというものは幻想なのだということです。
でも、このような考えをベースにすると、何か嫌なことがあっても、
「そうだよな、それが世の中なんだからしょうがないよな。」
という、変な意味で心が強くなれるかもしれません。
「人生、ハッピーに過ごさないといけない!」
なんて考えていたら、それと日々の生活とのギャップにメンタルを病んでしまうかもしれませんからね。
私はハウアー先生の考え方、嫌いじゃないです。
悲観的な自分をちょっと肯定したい。
そんな人は、ぜひ読んでみてください!
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!