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エッセイ

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わたしの世界の見え方
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枯れない花

通っているジムの近くの横断歩道横の電柱に花が添えてあると気づいたのはいつだったかしら。 誰かが事故に遭ってしまって、遺族がお供えしているのだろうと思った。ジムには水泳教室などもついているので、飛び出した子どもが事故に遭ってしまったのかしら。平和な緑道の先にある穏やかな道だけに、想像しづらいのだった。 それから通りがかるたびになんとなく目を向けるけれど、そこにはいつも花があった。そして、その花はちっとも枯れないのだった。まさか造花が、という考えが一瞬よぎったけれど、造花だって

つらいこと、忘れたくないこと

久しぶりに胃腸炎になった。 父の誕生日祝い兼節分ということで、実家で恵方巻と海鮮手巻き寿司と誕生日ケーキを無邪気に食べまくったせいだろうか。 家路に向かう途中に腹痛が始まり、夜中には胃にあるもの全てを出す勢いで嘔吐し、翌朝パートナーが買ってきてくれた経口補水液やらゼリーやらをどうにか口にしてみるも、食べた分だけ綺麗に吐いた。 最後の方には、胃に固形物はないのに、液体だけでも出したかったのか、水のようなものを便器の中に吐き出していた(きれいな話でなくて申し訳ない)。昔、胃酸

地球っ子はロマンティスト?不法在留者?

すきな歌は死ぬほどあるけれど、小学生の頃特にすきだったのは、 学校で習った合唱曲の「この星に生まれて」 それから、当時大流行りしていた(わたしもファンだった)大塚愛の「ロケットスニーカー」 ロケットスニーカーは意外と知られていなかったりするけど、ポップな曲調(大塚愛の曲は大部分がポップだけれども)と、何より歌詞の発想がすき。 全文引用したいくらい歌詞がすきだけれど、特に 「地球からステップ踏んで軽くして浮いている。あぁ、地球っこ」 「地球にThank you! タッチし

文章で生きるか、文章を書いて生きるか

遅ればせながら、年が明けましたね。毎年懲りずに「今年の抱負」を掲げる時期がわたしにとっての1月。それは今年も然り。 たかが前の年の12月31日から数時間(もしくは数秒)経っただけの1月1日になると、「新しい年」という響きだけで、なんだか新鮮で神聖な気持ちになる。お正月は大抵祖母の家で過ごすから、盆地の寒い朝の刺すような冷たい空気が余計に、わたしをそんな気持ちにさせるのかもしれない。 元旦の新しい冷たい空気に包まれていると、今年こそは何でもできるんじゃないかという気になって

駄菓子の”あたり”と消えた約束

永遠はあるけどない。 常々そう思っている。永遠を口にした瞬間、その永遠は確かにそこにあるけれど、その状態が変わらないままいつまでも残っているかと言われれば、大抵は「ノー」だ。 まだ折り目のついていない、真っ白できれいな2019年分の手帳を眺めながら、わたしのこの小さな決意もいつか、違和感なく揺らいでしまうのかしら、なんて思った。 小さな決意というのは、わたしは手帳派を貫く、というものだ。 友人たちがスマホでの予定管理に移行する中、わたしは相変わらず手帳を愛用している。

「お風呂が湧きます」の哲学:未来へのメッセージ

小さい頃からお風呂掃除はわたしの担当。前に住んでいた家では手動でお湯を溜めていたから、時々お風呂のことをすっかり忘れていて、湯船からお湯が溢れ出てしまったりもした。そんな小さなことでも「お湯がもったいないなあ」とものすごく悲しくなってしまった。懐かしい。 今の家では、ボタン一つで勝手にお湯を溜めてくれる。今はきっとそういうお家が多いと思う。すっかり慣れてしまっていたけれど、昨日は家に帰ってから大忙しで―――洗濯物を片づけて、お夕食を作って、掃除をして―――バタバタしていたか

高校3年生の君へ:魚の子ォも、人間の子ォもいっしょ

何週間か前のこと。高校生を対象に、簡単なプレゼンというか、スピーチをした。大したことは言えなかったけれど、せっかくだからその時の話を簡単に記録しておこう。 母校の恩師に、高校3年生にこのタイミングで伝えられるメッセージがあれば話してほしいと頼まれた。既婚者じゃなかったら本気になってしまっていたんだろうな、というくらいには大好きな先生からのお願い。何より、わたしの人生のキラキラが詰まった高校への小さな小さな恩返しになる。引き受けない手はなかった。 お話のタイトルは、「なんで

恋煩い?それとも、

わたしがもう十年か二十年早く生まれていたら、間違いなく‟Olive”の愛読者だったと思う。 生まれたころには廃刊していたから、シティガールのわたしは、シティボーイのための雑誌“Popeye”を愛読している。何もする気が起きなくてSNSを眺めていたら、今日は発売日だったと知って、さっき最寄りのコンビニで買ってきた。 それが、今日初めての外出になった。22時ごろだった。 あれ、今日は、一日カフェに籠って勉強する予定だったのに。卒論の一セクションを書き終えるはずだった。おかしいな

お別れできなかった日に思うこと

教会へ行けばよかった 今日は本当に散々で 体調が悪くて、椅子に座って黒板を眺めててもちっとも内容が頭に入らない いつもに比べたら恐ろしく口数も少なくて のろのろとしか歩けない お腹もすかない マスクに眼鏡にフード被って、不審者みたい ただこの「体調不良でだるい」という感覚くらいでしか、自分が存在しているのかわからなくなりそうなくらい ―――今日はお別れの挨拶をしに行くべきだったのに この気持ちがさらに身体をだるくさせたのかな わたしの人生の中に、すごくすごく大きな影

食べると食事

夕方、マンションへ帰ると、あちこちから夕ご飯の香りがしてくる。 わたしはいつもそれを「幸せの匂い」と呼んでいる。 焼き魚、カレー、お味噌汁……あったかいごはんの匂いは、わたしを幸せな気分にさせる。 それは、ただ「美味しいごはん」の匂いだからではなくて、みんなもこうやって生活しているんだわ、生きているんだわと感じられるから。 だから夕方や夜中のスーパーでお惣菜を眺めている人は、寂しいけどなんとなく愛おしい。 「おつかれさま」 と、心の中でそっと声を掛ける。 。o O 時

ただの日常を奪わないでよ、わからず屋

戦争って何だろう どうしたら「勝ち」なんだろう 相手が「もうやめてください、負けを認めます」と言ったらだろうか もしそうなら、「負けを認める」立場にいる人たちだけを攻撃するべきなんじゃないかしら 国家は戦うために、人々からたくさんの物を奪っていく 時に兵士は、同じ国の人をも殺す ―――食べ物欲しさに ―――避難場所欲しさに 兵士が生き残れば、勝てるのだろうか 人々が皆殺しになったって、兵士の駒がたくさん残っていれば「勝ち」というルールなのだろうか 「普通の人」は、なぜ参

「ちっぽけな存在」でいるのがすき

台風が来ることでたくさんの弊害がでることや、危ないってことは、重々承知のつもりだけど、 本当は、お外に出て、びっちょびっちょになりながら風に吹かれたり 気の置けない人と並んで座って、部屋の窓から、揺れる木々をじぃっと眺めたり そういうことがしたい。 あまり大きな声では言えないけれど、台風が近づくのを感じると、わくわくしてしまう。 。o ○ 強い風に飛ばされそうになったり、 これでもかってくらい殴るような雨を見ていると、 人間の自分がいかにちっぽけな存在なのか、

結局全部エゴなんだ

久しぶりに平日の昼過ぎという、人がたくさんいる時間帯に大学へ行った。授業に遅刻もしていなかったし、のんびりと駐輪場を抜けて校舎へと歩いていたら、ガッシャ―ンと音が聞こえたので、思わず振り返った。見ると、「自分の自転車を動かそうとした女学生が、周りの自転車を倒してしまった図」がそこに出来上がっていた。 わたしは踵を返して、彼女の方へ歩み寄り、倒れた自転車を一台起こした。 一瞬、「わたしが着くまでに自分でどうにかできちゃうかも」と躊躇しかけたが、それでも、誰かが手伝おうとして

忘れがたいある昧爽

気のおけない人たちとレンタカーに飛び乗って、留学前夜、旅は静かに始まった。 移り変わる見慣れた景色を、ただただ目に焼き付けた。 まるで走馬灯のようだった。今日を境に生まれ変わるのかと疑いたくなるほどに、私の軌跡を総復習しているようだった。 思い出の地をあちこち巡り、ようやく目的地へ走り出すと、夜が明けていった。見つけたコンビニで休憩をしながら、悲しいのか嬉しいのかわからない感情が飽和した中に私はいた。プールに潜っているみたいに、音がぼんやりとしか入ってこなかった。世界をぐん