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枯れない花

通っているジムの近くの横断歩道横の電柱に花が添えてあると気づいたのはいつだったかしら。
誰かが事故に遭ってしまって、遺族がお供えしているのだろうと思った。ジムには水泳教室などもついているので、飛び出した子どもが事故に遭ってしまったのかしら。平和な緑道の先にある穏やかな道だけに、想像しづらいのだった。

それから通りがかるたびになんとなく目を向けるけれど、そこにはいつも花があった。そして、その花はちっとも枯れないのだった。まさか造花が、という考えが一瞬よぎったけれど、造花だって雨風に吹かれ太陽の光を浴びていればそのうち色褪せてくる。そこにある花はいつだって色鮮やかだった。

初めてその花に気づいてから、もう数か月は経っている。色鮮やかな花を見かける度に、わたしは切ない。

花を供えている人は、いなくなってしまった誰かを少しだって忘れていないんだろうな。
いつか花が枯れてしまって、いつしかお供えされることもなくなってしまったら、それもなんだか切ないけれど、いなくなってしまった場所にいつまでも花を飾る日々のほうがずっと切ない気がするのはどうしてなんだろうな。


今年の桜はなんだか遅くて(暖冬が続くと、桜はだらだらと咲く、もしくは咲かなくなってしまうらしい)、4月になったけれど、まだお花見をできていない。毎年心待ちにしているこの短い時期にどうしても桜を見たくて、パートナーと「仕事終わりに夜の桜を見よう」と昨日約束した。

ほんの1-2週間前には、パートナーが仕事帰りに花を買ってきてくれた。わたしの好きなアリストロメリアだった。花が好きなので、自分ではよく買うけれどパートナーが贈ってくれることは珍しいので、わたしは泣いてしまった。ほんのりピンク色で、「桜みたいね」と言うと、「そう思って買ったんだよ」と言われた。まだ桜が咲いていなかったので、お花見気分ねと笑った。

思えば、花というのは見てももらっても、基本的にはうれしいもの。
門出の花、お祝いの花、何でもない日の花、道端の花、季節を知らせてくれる花……。どの花も、枯れていくのはちょっと寂しい。なるべく長く、元気でいてほしいと願ってしまう。

でも、電柱の花はいつだって切ない。いつまでも枯れない花がそこにある方がずっと胸が締め付けられる。あなたをいつまでも忘れていないよと、自分や周りに言い聞かせているみたいで、知らない誰かをぎゅっと抱きしめたくなる。

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