「ちっぽけな存在」でいるのがすき
台風が来ることでたくさんの弊害がでることや、危ないってことは、重々承知のつもりだけど、
本当は、お外に出て、びっちょびっちょになりながら風に吹かれたり
気の置けない人と並んで座って、部屋の窓から、揺れる木々をじぃっと眺めたり
そういうことがしたい。
あまり大きな声では言えないけれど、台風が近づくのを感じると、わくわくしてしまう。
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強い風に飛ばされそうになったり、
これでもかってくらい殴るような雨を見ていると、
人間の自分がいかにちっぽけな存在なのか、感じられる。
いつだったか人に不思議がられたけれど、わたしは、自分が小さな存在だと感じることで安心できる。だから、星空を眺めて宇宙を想ったりするとほっとする。
大自然や宇宙に比べたら、小さくて弱くて儚い存在……。そう思うと、なんでもできそうな気がする。わたしが何をしたって、地球は回るし、宇宙は続く。大丈夫、問題ない。いい子でいたって、悪いことしたって、泣いたって笑ったって関係ないんだ。すきなように生きていいんだ―――と、自由になれる。
それから、生きてる―――って、感じる。
強風の中、それに抗うために地面に足をつけて踏ん張っていると、いつもより強く「わたし」という存在を感じられる。ザーザー降る雨の音を聴いたり、アスファルトに水が強く打ち付けられるのを眺めていると、地球も生きているって感じる。わたしも地球も、ビッグバンから始まったと思えば、どちらも同じ「星屑」よねって、だいたい思ってる。
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ところで、今日はどこもかしこも、早々と店じまいをしていましたね。みんな無事に帰れることが大切だから、すごくいい判断だと思いました。
どうか誰も、ドロシーみたいに、風に連れ去られてオズみたいな場所へ行ってしまいませんように。
ちっぽけな存在だから、いなくなってしまってもいい、と捉えるのは、間違いよ。ちっぽけなわたしたちが生きているってものすごいなあという神秘を、大きなものを見ながら感じて、あちこちに感謝しながら生きましょうね、というお話でした。