「大死底の人」

 まだこの言葉自体を知ったのが今日なので正しい意味は分かっていないのかもしれないのだが、自分なりに解釈した範囲で書くと、なんでも「禅宗の修行」だとまずは「大死底の人(「だいしていのひと」と読むらしい)」から始めるのが一般的らしい。つまり「何もかも無くしてもう1回死んでしまったぐらいスッカラカンの状態から修行を始めれば、謎のプライドも残っていないし、1から新しい生き方を受け入れられるでしょ。それにはまずスッカラカンの状態の大死底の人になっちゃいましょうよ」と言う理屈。

 少し論点はズレるが、なるほど一部の新興宗教で「財産その他持っているものを全て教団に寄付してしまって、スッカラカンになってから修行を始める」と言うシステムがあるが、それってこの「大死底の人から始める」と言う考え方を上手に悪用(ウップス。「応用」ですかね)したんですね。新興宗教ってやっぱりスゴイ。それでなおかつ宗教法人は無税って、本当にとことんスゴイです(いやいや、完全に余談ですから読み流してください)。

 とまあそこまで極端に行かなくても自分の中で「今までの全ての経験とか考え方とか、全部一回殺して無かった事にしてしまって、1回死んだところから、ゼロから始める」と言うやり方はなんだか非常に良さそうな気がする。我々って本当に(と言うか僕だけでしたね。ちゃっかり皆さんまで巻き込もうとしてしまってすいません)ちっぽけなプライドを持っていて、それのせいで物事が進まないと言う場面が非常に多い。

 なのでこの「大死底の人」と言う考え方は「謎のプライド」と言うラスボス級の強敵に対抗するのにも、かなり効果があるストラテジーのような気がするんだよなあ。

 粗大ごみで家の中の大物を幾つか捨てたタイミングでこの「大死底の人」と言う言葉を知ったのも、恐らく何かのご縁なのでしょう。また今日をゼロ地点として「過去のささやかな成功例」も「潤沢にある、有り余る失敗例」も全部捨ててスッカラカンになって、全て「今日初めてやる事」と捉えてフレッシュな気持ちで向き合って行けたら良いなあ、なんて今は思っている。Rock Bottom!!!

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