たちつてと、たちつてと
「ねえねえ、おちゅちって何粒くらいのお米が入ってるの?」
これは、僕が5歳の時の話。
僕は4月生まれだ。
4月生まれはいつも「できて当然の目線」を浴びている。
かけっこも、なわとびも、跳び箱も、平仮名や漢字だって、できても読めても書けても先生達はあまり褒めてくれない。
「まーくんは早生まれだもんね。背も大きいし、かけっこも圧勝だもんね。」
僕は発表会や運動会が大嫌いだった。
早くきてしまった成長期。
成長痛で痛むのは足だけで良かった。
気付いたら、人前で自分を表現する事ができなくなっていた。
だから幼稚園は過酷な感情しか思い出せない。
″三匹のこぶた″
演劇発表会では、背は大きいのに、目立たない、小さいブタ③を演じた。
セリフは「たすけてー」
自分ではそう叫んでるつもりだったけど、
客席では、たかひろ君ママとしょうた君ママも、まーくんママに顔を近づけ何かを言っている。
劇の終盤、もう一回あった「たすけてー」。
今度は、まーくんママの前に座ってたえみちゃんママが振り返って何かを言っていた。
僕の家にはその演劇発表会のビデオだけが残っていない。
幼稚園の帰りの自転車、
「まーくん練習しようか。あいうえお…」
当時から″個性″が巷を騒がしてくれていたら。
そして、「うちの子の可愛い個性ですから。」
もし、母が周りのママに話してくれていたら…。
″たちつてと、たちつてと…″
小学校にあがるまで言えなかった
「さしすせそ」
″たちつてと、たちつてと…″
母は僕が頭が痛くなる度に大きい病院に連れて行って検査ばかりさせていた。
検査をして何を知りたかったのだろう…。
人と違うという称号?
「器官性構音障害」
周りに周った大学病院で唯一言われた診断はこれだった。
今でも早口言葉は苦手で、良く舌が回らなくなる。
緊張が重なると更に舌は回らない。
小学3年生のある夏の日、
僕はいじめにあっていた。
原因は口喧嘩に舌が反応できないから。
それも沢山の人に一斉に言われると何一つ言い返せない。
出てくるのは涙と嗚咽。
そして、僕は声を一時的だったが失った。
″ゆっくりで良いよ″
保健の飯島先生は優しい声でそう言った。
よーく考えられるのが、まーくんの良い所。
だから、話すのも答えるのもゆっくりで良いんだよ。
以降もいじめは無くならなかった。
でも、僕は毎日ゆっくり物事を考える。
ツッコミの種類や技を覚えた事で、僕へのいじめは無くなった。
でも、それはフォーマット。
そして、コピーアンドペイスト。
要は言葉の事務作業。
本当の気持ちは未だに言葉に詰まる。
だから、僕は前に出る。
だから、僕はたくさんの人と喋る。
″人と違う″を隠す為に。
まだまだ広がらない″個性″を見る心。
さ…さすがですね/最高ですね
し…知らなかったです
す…すごいですね/素敵です/素晴らしいです
せ…センスがありますね
そ…そうなんですか!?
死ぬ程、練習したフォーマット。
舌足らずの「さしすせそ」で今日も僕は皆んなを転がしにいく。