投稿記事数100に達して #101
100記事を投稿しました
昨年(2022年)の10月末からノートへの投稿をしてきましたが、このたび投稿が100を数えるに至りました。「高校英語教師が翻訳した説教集」ということで、16世紀イングランドのいわば官製の教会説教集について、解説と試訳をお届けしているという、なんともマニアックなものです(ごく一部、そうではない記事があります。今回のように)。記事を見ていただいたり、スキをポチっとして下さったりする方々の応援がありがたく、感謝に堪えません。
この数を少ないとみる、多いとみる、いろいろあると思いますが、私としては、このすべてのひとつひとつの方々にただただ感謝しかありません。
今回はこれまでの100の記事のなかで、「ビュー数の多いもの」と「ビュー数の少ないもの」そして「スキ数の多いもの」を紹介します。
①ビュー数の多いもの
この2つです。
第一説教集第1章第1部の解説と試訳です。それぞれマガジンのトップにあるということもあるのかもしれません。マガジンを最初の記事から順に読んでいただいていることに感謝です。
原則として説教のひとつの「章」を「部」に区切っています。「章」単位での原題はあるものの、「部」それぞれに合う(と思われる)タイトルをつけて投稿しています。「解説」と「試訳」はいわばワンセットです。第一説教集第1章は説教集全体の最初のものであり、内容としては、キリスト教徒にとって聖書を読んで理解することほど意義のあることはない、これ以上に魂にとっての糧となるものはないということが説かれており、タイトルを「人はパンのみで生きるにあらず」としています。宗教改革の中心的なテーマである聖書中心主義が前面に出されている章です。
②ビュー数の少ないもの
この2つです。
投稿日をみるとクリスマス近く。学校感覚では冬休み前。このあたりのときは連続して投稿していたので埋もれてしまい、あまりみなさんの目に止まらなかったのかもしれません。内容としては、いわゆる「王権神授説」にかかわるもので、当時の人々に対して、体制への服従を説くものになっています。当時のイングランドにはスペインなどのカトリック国との対立が外交の課題としてありましたし、国内にも反乱の不安がありました。そのなかで、教会の説教において「王の権威は神によるものである」と説くことの意味はとても大きかったと思います。ぜひご一読ください。
③スキ数の多いもの
2つありますが、まずはこれです。
ほぼどの説教も、タイトルをつけるときに心がけていることがあります。それは「その説教の内容を端的に表していること」と「説教のなかで引用されている聖書のことばを基にしていること」です。悩むこともたくさんあります。しかし、これについては、そのあたりが見事にスパーンと決まったというか、得心のものであったと言うことができます。内容についても、イエス・キリストが世の救い主であるということについて愛情深く説かれており、極めて美しい敬虔さに満ちていると言えます。
もうひとつがこれです。
タイトルからおわかりのとおり、説教集の翻訳ではありません。私事です。元旦に、一年の始まりにあたり、また誕生日にあたり、これからについて思うことを書いたものです。かなり勢いで書いたもので、自分で読み返してみて思うのですが、スパンスパンスパンとくるものがあります。ここで書いたことを大切にしていかねばと気持ちを新たにするところです。
まとめ~スパンスパンスパン
心に響く記事にはどのような要素が必要か。それを端的に言えば「スパンスパンスパン」なのだと思わされます。心に響くには心から強く打たなければならない。当たり前のことなのですが、この記事を書いていて思わされました。説教集の翻訳。これを心に響くものにするのは、翻訳者の力量にかかっている。その力量とは英語力や日本語力もさることながら、心に響かせようとする気持ち、まっすぐに打とうとする気持ち、目の前のボールに対する、またそれを届けたい先にいる人々に対する、強い愛情なのだと思わされました。これを強く肝に銘じ、ひとつでも多く心に響くものをお届けするべく、ますます励んでいきたいと思います。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
次回は第二説教集第3章「教会堂を修繕して清潔に保ち、相応しく飾ることについての説教」の解説をお届けします。最後までお読みいただきありがとうございました。
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