見出し画像

解説 茨の冠を載せられても(第二説教集21章2部) #193

原題:An Homily against Disobedience and wilful Rebellion. (不服従と反乱を戒める説教)

第2部の解説をします。聖句でいうテーマはこれでしょう。

そして、イエスの着ている物を剥ぎ取り、深紅の外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。(マタイによる福音書 第27章28~29節)

第2部のポイントは次の4点です。
①服従に関する旧約の逸話~ダビデ
②ダビデなら反乱者に何と言うか
③服従に関する新約の逸話~マリアとイエス
④結びの短い祈りと一同に唱える祈り

第2部は第1部で説かれたことを聖書の引用によって強めるためのところであると言えます。

より強くこの教えを確かにするために、善良で恵み深い君主に対してのみならず邪悪で冷酷な君主に対しての臣民の服従について、聖書から一つか二つの例をお話したいと思います。サウル王は最も良い君主の一人ではなく、むしろ最も悪い君主の一人です。

反乱は絶対的な悪であり、たとえ暗愚な君主に対しても服従しなければならない。この暗愚な君主がサウルであり、この王に一貫して服従を通したのがダビデでした。

どれほど邪で神の恩寵から離れていても、サウル王はその臣下であるダビデの服従を受けていました。ダビデはまさに臣下の中の臣下であり、戦時にあっては君主と国家に仕えること勇敢であり、平時にあっては従順なること愛すべきほどでした。

聖書の引用をもってサウルの暗愚とダビデの高貴が対比されますが、そのしめくくりとしてこのように述べられます。

ダビデは忠実で献身的で、君主に対しても国家に対しても益のある重要な務めを行いました。しかしサウル王はといえば、卑しく忌むべきことに、そのような善良な臣下に対してますます不実さや憎悪や残忍さを露わにしました(サム上18・10~11、同22・17)。それでもダビデは敵となるサウル王に対して、君主であるという理由から、刃を向けることも傷つけることもありませんでした。

このようにダビデは臣下の鑑と評されるうるほどであるのですが、世に反逆の正当性を訴える者がいるとして、このダビデならこう答えるだろうといういわば想定問答が展開されます。

【問】わたしたちは邪悪で良心のない君主に対して、神に遠ざけられわたしたちの敵となった君主に対して、国家を荒れさせた君主に対して、何をするべきなのでしょうか。【答】善良なダビデならこう答えるでしょう。神が君主の働きに終わりを定められるまで、君主に対してはいかなる暴力的な手段も用いてはなりません。天寿によって死するか、敵に対する正義ある戦いに斃れるかによるものであり、臣下による弑逆によるものであってはなりません。

暗愚な王や理不尽とも思われる権力に対する一貫として服従は新約世界にも見られます。イエスの母であるおとめマリアの逸話とそこから学ぶべきことが述べられます。

彼女は身重でもうすぐ子を産むところでしたが、それを言い訳にすることもなく、またナザレからベツレヘムへの長く辛い旅は税を納めるためであったのにこれを恨めしく思うこともありませんでした。(略)この極めて高貴で美徳に満ちた女性が異教の君主に服従したことから彼女に比べれば極めて低くて卑しいわたしたちが学ばねばならないのは、いわんや正統の恵み深い君主に対してわたしたちがどのような服従を見せるべきであるかということです。

そしてこのおとめマリアからうまれたキリストについても、その一貫した服従の姿が述べられます。

キリストは神のみ子であられながら、ご自身がこの世にあられたときには世俗の権威を持っていた人々に恭しく従い(マタ17・25、マコ12・17、ルカ20・25)、反乱を起こそうなどと考えもなさらず、異教の君主であったローマ皇帝に服従することをユダヤ人に説き、使徒たちにも同じようにするようにとされ、ついには異教徒の生まれであるポンテオ・ピラトの前に引き出され(ルカ23・1)、ユダヤ人の王とされました(マタ27・28~29、ヨハ19・20~21)。キリストはご自身の権威と力が神に授けられたものであることを知りながら、ご自身に向けて不当にも宣告された極めて痛ましく辱められた死の判決に忍耐強く服従され(マタ27・26、ルカ23・24~25)、しかし恨むこともなさらず、一言も罵りの言葉を出すこともなさりませんでした。

第2部ではこのように聖書の人物がいかに服従を通したのかが述べられ、たとえ暗愚な君主にであっても、また、正統の君主ならばなおさらのこと、服従するべきであると説かれて終わります。短い祈りのあと、第1部と同じように、一同で祈りが唱えられます。


今回は第二説教集第21章第2部「茨の冠を載せられても」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。


Twitterもご訪問ください。
主の平和/高校英語教師ミトモのひとこと説教集(@sermons218tm) / Twitter
聖書日課/高校英語教師ミトモの朝夕の祈り(@bible218tm) / Twitter
高校英語教師ミトモ(@tmtm218tm) / Twitter

いいなと思ったら応援しよう!