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ネット弁慶の実態

ナマステ!
5日間の関西帰省から、先ほど東京に帰還して参りました。いやー、本当に濃い帰省だった。めちゃくちゃ良い思い出と経験を手に入れることが出来ました。今日は新曲のレコーディングも無事に終了して、一安心。

奥野涼・カチューシャモード

本日は「ネット弁慶の実態」について。
ネット弁慶というより、主にネットで誹謗中傷する人の深層心理を自分なりに考えてみた。異論は大いに認めよう。なんてったって純度100%の自論・極論だから。

最近よく聞く悲しいニュース。ネットの誹謗中傷で命が消える現代。本当に悲しい時代だなと思う。

でもきっと、その誹謗中傷する人たちにも何かがあるのだろう。「何か」がないとわざわざそんな書き込みをしない気がする。赤の他人を責めるその行為に、「何か」があるから、わざわざ関係のない人を傷つけることができるのだと思う。

ちなみに僕は、自慢でも何でもなくリアルな友達が多い。そして心から信頼できる仲間がいる。何もかも失ったとしても、受け入れてくれる場所があると言ったらいいのだろうか。そんな最終避難所みたいなものがある。

そして私生活が充実している。誰かと比べることは一旦抜きにして、フラットに自分をみた時、単純に人生が楽しく希望がいっぱいある。やりたいことも多分100個以上はあるから、自分の人生を生きることでいっぱいいっぱいだ。

「類は友を呼ぶ」なんて言葉を最初に作った人は天才だと思うのだが、僕の周りは、僕と同じ考えを持った人で溢れている。みんな自分の人生に忙しい。そして心を許せる仲間がいて、最後に帰ってくる場所を持っている人ばかりだ。

と、自分の前提を話してみたのだが、こんな感じなので他人の人生に興味がない。(いい意味で)

対して、誹謗中傷する人は、一言でいうなら「避難所」がないのだと思う。疲れた時、落ち込んだ時、死にたくなった時、「避難」する場所がない。受け入れてくれる場所がないから、不安なのだと思う。

「攻撃は最大の防御なり」なんてことわざがあるけど、この考え方に近い気がする。傷つきたくないから、誰かを攻撃する。誰かを攻撃することで、自分の不安をかき消そうと必死なのだと思う。

そして何よりも自分の人生が楽しくないのだと思う。例えていうなら「人生消化試合」に早くも片足を突っ込んでいる人たちな気がする。

僕は、自分の仲間を裏切りたくない。「最終避難所」に誰もいない人生なんて辛くて辛くて仕方ない。本当に心を許せる仲間がいるから、赤の他人を攻撃するなんて発想にもならない。

ある意味、この世で一番可哀想な人たちだ。ただ困ったことに、解決策が分からない。「信頼できる仲間」なんてそうそうできるものでもないし、狙ってできるのなら、みんなやっている気がする。だから僕はラッキーなんだと思う。

締め方が分からず2分くらいPCの前で固まっていたのだが、まあこんな風な結論に至った。あまりハッピーな記事ではないけど、たまにはこんな話も執筆していけたらなと思う。フェリベトウンラ!




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