エヴァンゲリオンから学んだ大切なこと【本当の希望の見つけ方】
エヴァンゲリオンは、誰しも認める、日本を代表するアニメの大作。
なんと初代アニメから、完結するまで、26年かかったというから驚きである。
巷では、グロい、よく分からない、気分が悪い、暗いなどと言われることもある。
しかし、熱狂的なファンも多いのも周知の事実。
私の周りにも、エヴァ好きな人は結構多い。
このアニメはなぜそんなに、人々の心を掴むのか?
そして、このアニメの作者は、我々に何を訴えたかったのか?
それについて、自分なりに考察してみたくなり、この記事を書いた。
元々、エヴァには全然興味がなかった。
しかし、自分の教え子の1人に「絶対見てください!」と、おすすめされて見たら、まんまとどハマりしてしまった笑
正直、泣いた。
泣いたし、過去の思いが色々思い出されたり、自分と向き合う必要もあり、ぐったり疲れた笑
見るのに結構エネルギーを使うし、大変。
難しいので、ストレスを感じる人もいるだろう。
だが、自分を見失いがちになったり、しんどくなった時に、定期的に見直したくなる。
エヴァは決して悲観的な作品ではない。
むしろ、本当の意味で前向きになれる希望に溢れた作品である。
この様な作品が日本中でヒットしたというのは、日本も捨てたもんじゃないと本気で思える(上から目線はお許しを)
エヴァから大切なことを沢山学んだので、少々長くなりますが、記事にしました。
是非最後まで読んで頂けると嬉しいです。
🔷シンジに共感せずにはいられない俺達
エヴァを一言で表すなら、
こころの成長の物語
だと言えよう。
親から愛されてこなかったと感じる、孤独な主人公の少年シンジ。
そんなシンジは、人に心をオープンにすることもなく、いつも自分の殻に閉じこもるタイプ。
それでいて、やるせなさを感じている普通の少年。
俺達もずっと感じていたことかもしれない。
そんなシンジが、ある事をきっかけに、あまりに不条理な大人の都合に巻き込まれていく。
地球を襲う使徒という謎の生命体に対して、まだ中学生のシンジが、エヴァンゲリオンという、人造人型兵器に乗って戦わせられていく。
それが、このエヴァの舞台。
スケールは全然違うが、これって、何か我々が今まで経験してきたことと似ていないだろうか?
ずっと子供時代から生きづらさを感じてきて、いざ社会に放り出されて、自立して生きていかなきゃいけないプレッシャーの中で、戦わざるを得なくなる。
勉強しろ!
強くなれ!
金を稼げ!
結婚しろ!
大人達の都合に巻き込まれている感じがするものの、仕方なく頑張らざるを得ない日々。
人と関わるのも怖いし、自分が将来どうやって生きてけばいいのかも、漠然な不安と戦う日々。
でも、孤独。
寂しい。
だからこそ、人を求めたくなるが、求めることさえ素直に出来ない。
というか、拒絶されることが怖くて、相手にアクションを取ることができない。
こんな青春時代にずっと感じていたことが、シンジの姿と、どうしても重なる。
でも、これって、俺だけじゃなくて、少なからずみんな同じことを感じていたんだと思う。
だからこそ、これだけ国民的ヒットを巻き起こしたのだろう。
「みんな同じなのかも、、」と感じることで、自分だけが苦しんでいたという幻想からの解放された気分になる。
作者が仕掛けている一つのストーリーの1つであろう。
最初は嫌々ながらエヴァンゲリオンに乗っていたシンジは、周囲の人の励ましや、仲間達との交流を経て、次第に自分の使命感や主体性を見出していく。
最初はめちゃくちゃウジウジして、自分の殻に閉じこもっていた過去。
でも、それじゃダメだと次第に腹を括り、少しづつ主体性を身につける。
実は、色々な人に手助けをされていたんだと気づく。
それぞれ過程は違えど、みんなそういう経験と積んでいると思う。
それが、シンジと重なるのであろう。
🔷視聴者を、徹底的に絶望と向き合わせる庵野監督
多くのエヴァンゲリオンのファンは、作者の庵野監督に何度も怒り狂ったという。
それはそうだ。
普通の楽しいアニメと違って、エヴァは地獄の様な絶望と、何度も向き合わされるからだ。
世界が終わるのなんて序の口。
大切な人が殺されるのなんて序の口
「結局何が言いたいんだ?訳分からん!!」
みたいに、視聴者を混乱に陥れてくる。
特に、新劇場版のQという作品は、大炎上を引き起こしたほどだ。
ただ、それ自体が、後々この作品を素晴らしくしている伏線になる。
シンジは日々、着実に成長していた。
日々使徒と戦う中で強くなったり、新しく加わった仲間や友達もできて、少しづつ心を開いていく。
ずっと愛されていないと感じていた父親との関係性も、改善していく風に見えた。
女の子ともちょっとずつ仲良くなれる様になっていき、
なんだか普通に楽しそう笑
物語はハッピーエンドに向かう様に見えた。
しかし、使徒との戦いの最中、シンジのある判断により、世界に破滅的な破壊を与えるほどの事件を起こしてしまう。
それがきっかけで、世界の大部分の人間が死ぬという大事件。
シンジは、主体的になって、人々を守りたいという使命感も持つようになっていった。
そんな中、使徒との戦いの中で、ある1人の女の子を守ろうとする。
でも、良かれと思ってやったその行為が、世界を破滅に導いてしまうのである。
しかも、シンジは、陰で悪い大人達に操られていただけだったのだ。
自分の仕事に使命感を持って誇りを持ち始めていた矢先だった。
結果的に、破壊的思考を持つテロリスト的な大人達のコマにされていただけのシンジ。
しかも、その上で悪役にされてしまう。
しかもそのテロリスト的な大人の張本人が父親というから、反吐が出る。
成長して主体性を持ち始めた。
自分の自我も持ち始めた。
自分の意思を持って人を助けようとした。
しかし、最後に残ったのは、壮絶な虚無感。
さらに、自分に最後まで味方をしてくれていた友達も失っていく。
死ぬほど胸糞悪い終わりに、多くの視聴者が絶望へと落とし込めらえる。
が、これも、我々が少なからず経験してきた事ではないだろうか?
ちょっと出来るようになって、世界が明るく見え始めた矢先、思いもよらない絶望に落とし込められる経験はないだろうか?
などなど、人生生きていれば、絶望に向き合わされることなんて沢山あるわけだ。
そう、この世界はある意味、絶望に満ちているとも言える。
それが、エヴァンゲリオンの世界観と酷似しているのである。
決して、現実を見て見ぬふりをする楽観的な作品ではないのだ。
設定自体は非現実的なトンデモ作品である笑
(ATフィールドだの、使徒だの、そもそもなんで、シンジが初めての戦闘で使徒を倒せたんだよというツッコミは入る)
しかし、根底にある背景は現実世界と一緒なのである。
庵野監督は、視聴者に、その現実と向き合わせようとする。
現実は辛いからアニメに逃げたくなっていたのに、アニメの中でも現実と向き合わざるを得ないから、そりゃ視聴者も混乱するだろう笑
こう叫んだ視聴者は多いのではないだろうか?
否定したい。
でも、否定し得ない過去と、アニメが重なる。
だからこそ、感情が思いっきり揺れ動かされる。
視聴者から、
「庵野監督は、メンヘラだ!」
「あいつは頭おかしくなった!」
「視聴者を虐待している!」
みたいに批判が出たのはこの為だと思う。
だが、それこそ彼の目的だったのではないだろうか。
「簡単には終われねーよ。」
そう、監督に言われ続けて、20年以上の時が過ぎたのである。
まったく、ドSすぎるぜ!
庵野さんよ!
だけど、今だから分かるんだよね。
本当に優しい人って、ちゃんと厳しさを持って現実と向き合わせようとすることを。
実際、庵野さんも批判や中傷を覚悟の上でQを作ったのだろう。
その後、精神的に相当大きな負荷がかかっていたと告白しているぐらいだから。
それでも、生半可なうわべだけの優しさや希望を見せない。
むしろ、リスクを背負ってでも、真実を伝えようとする。
過去、自分を育ててくれた人達もみんなそうだったなあと。
🔷逃げたい、楽になりたいという思いとの闘い
このエヴァという作品の隠れた大きなテーマの1つに、
自分の人生を切り開いて、現実を生きようとする子供達
vs
現実を生きるのを諦めて楽になりたい大人達
という闘いが見え隠れする。
シンジの父親である、ゲンドウを始めとした、ゼーレと言われる裏組織は、ある極秘計画を進めていた。
それは、人類補完計画と言われるものだ。
それは簡単に言えば、全ての人類を液状化して、一体となり、全ての魂をも1つにして、全人類一体になろうというもの。
そこには、争いも、孤独も、差別も、苦しみもない、全てが均一化した世界。
自我がなくなり、全てが一体となった、孤独からの究極の解放。
努力も、我慢も、辛さも全てが無くなって、平穏無事で、一見すると楽園の様な話だ。
「現実世界を生きるのはしんどい。」
「人間であることが辛い。」
「だから、全員同じ液体になって混ざって、一緒になって楽になろうぜ!」
ということだ。
「そっちの方が楽じゃん!傷つかずに済むじゃん!」みたいな感じ。
まあ、なんか気持ちは分からないでもない。
辛くて、破壊的思考になる時、全てをぶっ壊したくなって無になりたいと思う時ってある。
鬱の時とかそうだったなあ。
ある意味、この世界の現実は辛すぎる。
いじめや、差別、他人との比較や競争などで、人は常に不安と孤独と寂しさを感じている。
これを感じない人なんていないだろう。
生きることは決して楽しいことばかりではなく、往々として、辛い現実と向き合いながら、時に不安や孤独を感じながら生きていくことになる。
いや、むしろ、根底では永遠にそうだ。
ゼーレと言われる大人達は、その現実と向き合うことに疲れてしまったのだろう。
シンジを始めとした子供達、人類を利用して、人類補完計画を遂行して楽になろうとしたのである。
ゼーレの大人達の気持ちも、分からんでもないのである。
だが、それでもシンジを始めとして、エヴァンゲリオンに乗るパイロットの子供達、ゼーレと戦う人達は、人間であることをやめようとしなかった。
そんな姿を見てると涙が溢れてくる。
その姿も、過去の自分と重なると思った人も多いはず。
シンジも、自分の闇に飲み込まれそうになった場面は何回もあった。
シンジは、辛くて逃げ出したくなった時、好意を抱いている女性達が、無条件で性行為をさせてくれているような妄想に逃げる。
裸の美少女達が、無条件で受け入れてくれるのである。
そんな描写は、本当はモテたくて、愛されたいけど、現実と向き合うのが怖くて、A○の世界や、エ○ゲのファンタジーに逃げ込みたくなったりした時の心情と全く同じである。
辛く、現実から逃げたい時に、人間は、そういう非現実的な妄想に逃げる。
この世界は、そういう現実逃避するにはもってこいのコンテンツに溢れかえっている。
宗教、ギャンブル、アイドル、アダルトコンテンツを始めとしたネットのコンテンツはまさに、現実逃避にはもってこいである。
もっと言えば、自ら命を断つことや、犯罪を犯すことも、究極の逃避と言える。
また、権力を濫用したり、頑なに地位を守ろうとしたり、自己保身に走り続ける人達も、現実と向き合うことを諦めた人だとも言える。
まさに、そんな諦めの勢力と、辛くても現実と向き合おうとする勢力のぶつかり合いは、現実世界でも起こっている。
それがエヴァでは、子供達と、大人の対比で描かれている。
そして、それは個人の内面で起こっていることでもあるのだ。
自分の心の中には
「なんとか前に進みたい気持ち」と
「もう諦めていっそう楽になりたい気持ち」
が誰でも揺れ動いていると思う。
時には諦めてしまいたくなる時もある。
実際に諦めてしまう人も大勢いる。
その上でだ。
シンジはそれでも前に進み続けたのである。
何度も幻想の中に逃げ込みたくなった。
大人達が用意したファンタジーの様な世界も悪くないと、何度も思ったことだろう。
でも、それでも現実を生きることをやめなかったのである。
一時的に楽になる選択をしないで、自分の意思で生き始めたのである。
そんな姿に、実は勇気を貰えていた視聴者は多いのではないだろうか?
エヴァが好きな人は、総じて、逆境を乗り越えて、前に進もうとしている人が多い気がするのは偶然ではないと思う。
そして、彼らは過去辛いことが沢山あったが、今を楽しく生き生きと生きている。
真正面から逃げずに人生に向き合い、自分の目標を諦めず、他者と向き合う事こそ、本当に自分を好きになり、愛することが出来きて、幸せをつかみ取れると、心で分かっていたのだと思う。
それは、人類補完計画のような、偽りの一体感でも、擬似的な幸せでもなく、
ちゃんと1人の人間が、相手と向き合う姿勢だ。
ちゃんと1人の人間が、現実世界と向き合う姿勢だ。
自我を持って、生身の人間が現実を生きていくということだ。
現実逃避ではなく、リアルに人と繋がれた時こそ、自分の人生を生きれた時こそ、本当の幸福感に包まれる。
エヴァは、そんな誰しも持っている“内面の葛藤“、そして“現実世界で起きている様々な誘惑との闘い“を描いている作品でもあるのだ。
🔷父親との確執。そして、和解
長い年月をかけて遂に完結した、劇場版シン・エヴァンゲリオン。
2021年に公開された作品だ。
この作品で、今までの伏線が全て回収されることとなった。
主人公のシンジの父親である、碇ゲンドウの内面の葛藤が描かれたシーンの印象が残っている人も多いだろう。
シンジはずっと、父親が自分のことを嫌っていたと思っていた。
しかし、ゲンドウはシンジのことを嫌っていたわけではなかったのだ。
詳しいことはネタバレになるので、書かないが、実はゲンドウ自身、非常に苦しんでいた。
父親としての役割、根底にある恐怖、大切な人との別れ。
そんな自分の弱さと向き合うことを恐れ、人類補完計画を進めていた。
ゲンドウ自身、ずっと孤独で苦しかったのである。
それを吐き出す手段がなくて、シンジとも関係を築けずにいた。
しかし、シン・エヴァンゲリオンでは、そのゲンドウが自らの弱さと向き合い、シンジと和解していく様子が描かれている。
シンジ自身も、それまでの壮絶な体験を通して、精神的にも、人間的にも成長していたのである。
2人の魂の和解により、2人の確執が消えていく。
まさにカタルシスが起こった瞬間。
この時には既に、シンジの方がゲンドウよりも精神的に成長していた。
両親の呪縛を超えて、シンジ自身が成長した結果、シンジが父親を救ったのである。
それにゲンドウが応えたのだ。
これは、実は現実世界に起こる、世代を超えた成長の物語と同じなのである。
子はいずれ親を超える。
ある時を境に、親の呪縛に縛られることなく、子は自ら成長していくものなのだ。
親を超えるのだ。
子供は最初、親が世界の全てだと思ってしまう。
しかし、親は親の世界を見ていているだけに過ぎない。
子供はそれ以上の世界を見て良いのだ。
どうしても親は子供を自分の型にはめたくなる。
もちろん、最初はそれでいいのだ。
しつけだったり、教育を施す上では親の世界観を教えるのは大切だからだ。
だが、いずれは子供は、自分の頭で考えて、独り立ちし、自分の人生を生きていく必要がある。
そうなったら、もう親とは完全な他人となるのである。
いずれは、親を超えていくのだ。
そして、その成長は、次の世代以降もずっと続いていく。
我々はある時を境に、親に執着するのをやめなければならない。
決断しなければならない。
愛着状態から抜け出せない人は、いつまでも親を恨み、親の呪縛に縛られようとする。
「俺がモテないのは親のせいなのだ」
「俺が稼げないのは親のせいだ」
「俺が幸せじゃないのは親のせいだ」
と。
しかし、それは違う。
親は親、自分は自分なのだ。
自分が行動しない、変わらないのは親のせいではなく、自分が選択している結果なのだ。
そういう意味で、我々は全員まだ子供だ。
子供を持っている人、教育する立場にある人も、みんな例外無く、全員親がいた子供なのだ。
俺達は、親を超えていいのだ。
親の呪縛から解き放たれて良いのだ。
その許可を自分に課すことだ。
シンジは、最初は酷い愛着状態で、全て他人のせいにしていた。
しかし、シンジは、それでも逃げずに現実と、自分の弱さと向き合った。
結果、父親の呪縛から解放されて成長していったのだ。
シンジが父親との愛着状態から抜け出した結果、父親にもその想いが通じた。
何度も弱音を吐いたり、挫けたり、諦めそうになっても。
それでも前に進み続けることをやめず、最終的には自分を信じたのである。
(庵野監督が主人公の名前をシンジにしたのは偶然だろうか)
幻想に逃げず、現実と向き合い、最終的に親を許し、そして成長していった。
最後のシンジの姿に心打たれた人も多いのではないだろうか?
最初の頃のシンジとはまるで別人である。
エヴァンゲリオンとは、一見、人造人間人型兵器に乗って、バンバン敵を倒していくだけの物語のように見える。
しかし、本質は、その様な人間の心の成長を、リアルに描いた物語なのである。
🔷本当の希望の見つけ方
さて、そろそろ筆を終えようと思う。
皆さんももう疲れただろうから笑
繰り返し書いている様に、エヴァは決してただの悲観的なアニメではない。
とことんまで絶望と現実に向き合わせながらも、実は心の成長を描いている、希望に溢れた物語なのである。
そこには、時に苦労や、苦難や恐怖を伴う。
何度も絶望に落とし込まれて、嫌になったファンも多いだろう。
だが、それでも現実から逃げずに立ち向かった結果、シンジは最終的に希望を見出すのである。
それは、最後まで何だかんだ逃げなかったからだ。
辛くても、現実と向き合おうとしたからだ。
時に諦めそうになっても、前に進むことをやめなかったからだ。
根底で、自分を信じ続けた結果だ。
迷うこともあっただろう。
諦めそうになったこともあるだろう。
だが、何だかんだ言って、最後まで諦めなかった。
現実や絶望から逃げずに、真正面から向き合った時、本当の希望が生まれるのだ。
その結果、最後の最後の映画で見せた、あの精悍な顔つきが全てを物語っている。
我々もこれから前に進む限り、何度も挫けそうになる時がくるだろう。
諦めそうになった時、自分を見失った時、迷った時、そんな時は、
エヴァンゲリオンから学んだ大切なことを、思い返していきたい。
(終)
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