神宮外苑の件に見えた「画一化」について、秋葉原の思い出を交えて(エッセイ#8)
神宮外苑の再開発をめぐる議論が加速している。記事では触れられていないが、市民団代のみならず、著名人達(故・「坂本龍一」氏や、「村上春樹」氏、サザンオールスターズ「桑田佳祐」氏)も今回の再開発事業に反対の意を表明している。
更に「ユネスコ」等の国際機関からも疑問の声が挙げられるなど、この問題に対する注目度が上がってきている。
私はこの件を受けて、「画一化」というテーマを書いてみたいと思う。
世の中が益々便利になるにつれて、誰でも、どこにいても同じサービスが受けられる社会に近づいて行っていると思う。例えば、あの総合スーパーに行けば何でも売っているという状況であったり、駅ビルにはだいたいあの店やカフェがあるといった具合だ。
世の中に便利な価値を創出した企業などが、規模や収益力の拡大のために守備範囲を広げる。これは悪いことではなく、むしろ、消費者の便益を追求した企業努力は賞賛されるべきものである一方で、上で触れたような「画一化」を発生させるものでもある。
ここでタイトルにある通り、私がよく通っていた「秋葉原」という街にも触れたい。私と秋葉原という街との出会いは、幼少期であった1990年代の後半だ。親に連れられてよく秋葉原に行っていた。当時流行っていた「スーパーファミコン」のゲームソフトを買うためには、品揃えや値段の手頃さという面で秋葉原が一番良かった。
あの時の秋葉原は、今にも増してカオスそのものだった。駅前にはなぜか公園とバスケットコートがあり、B-POPなどのファッションに身を包んだ青年たちがバスケをしたり、スケートボードの練習で汗を流している。街中に入れば、「ラジオ会館」に代表されるように、ラジオパーツや海外輸入品を含めた機械部品を販売する店が所狭しとひしめき合っていた。
中でも「秋葉原駅ビル」は、街の縮図だった。何の店か良くわからない雑貨ショップや、PCパーツ、サブカル品など、混沌の博物館のようだった。
その駅ビルがアトレに改修されたのは2000年代の後半頃だっただろうか。当時のネットでも大きく話題になっていたが、秋葉原の駅ビルは、他の街にあっても違和感がない、クリーンなものに変わっていた。秋葉原の外に出なければ買えなかったものが売られ、行けなかった飲食店が入居した。
便利になった。私もその便利さを享受した。ただそれは、かつて秋葉原の駅ビルに染みついた街の匂いと引き換えに手に入れたものだった。
秋葉原という、今に至っても日本を代表するかもしれない個性の街でさえ、画一化とは完全に無縁で居られなかった。
今回の神宮外苑の再開発事業。その開発事業について詳細に調べを尽くしたわけではないが、土地の特性や文化を活かすことには配慮がありつつも、基本には「ビル化・商業化」の流れをくんでいるようだ。神宮も、他の街と同じように画一化されていってしまうのだろうか。
街の匂いは、そこで形作られてきた人々の交流や、過ごしてきた人たちの息遣いによって、長い時間をかけて形作られるものだ。決して人為的に作ることはできない。
神宮の場合、それは、坂本氏が愛した豊かな森や自然、その中に流れる芸術を喚起するような爽やかな風であったり、村上氏が作家になることを志したスワローズの球場、執筆生活の中で何度も走ったランニングコース、桑田氏が大きな夢を抱いて、仲間と共にレコーディングを重ねたスタジオの想い出。そのような、生身の人々が抱いた気持ちの総体であるはずだ。
資本化やグローバリズムという大きな潮流の中で、社会が「画一的な何か」に収斂されて行っている気がしてならない。もちろん、それは避けられないことだと理解しているし、それによる便利さも享受している。ただ、それでも寂しいという感情は胸の上の方まで迫る。そんなアンビバレントな思いを抱えている。
今回の件がどのような決着を見るのかは分からない。ただ、少しでも人の想い・街の匂いが保存されることを願ってやまない。
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さて、ここまで読んでくれた方に向けて、余談を二つほど。
一つ目。冒頭で坂本龍一氏と村上春樹氏の名前を挙げたが、実はこの二人に関係する一人の文豪の存在がある。「三島由紀夫」氏だ。
三島由紀夫が文壇の世界との接点を持つにあたり、語り欠かせないのが坂本龍一氏の父、「坂本一亀」氏だ。彼が営む出版社のサポートや推薦を受けながら、三島由紀夫の文章が世の中に羽ばたいていくこととなった。その息子が坂本龍一氏である。
一方で、村上春樹氏に関しても、作風や文章にも三島由紀夫の影響が多少なりとも見受けられると言われている(三島氏は、戦後を代表する作家であるから、ある意味当然であるかもしれない)。デビュー作である「風の歌を聞け」に登場する架空の作家"デレク・ハートフィールド"のモチーフの一人は三島氏であると指摘する言説もある。
このように、今回の神宮再開発に反対している坂本氏と村上氏の両名それぞれが持つバックグラウンドや物語に思いを馳せても面白い。なお調べたところ、坂本一亀氏が亡くなったのは2002年だった。秋葉原の駅ビルが改修される前だろう。もし、彼が秋葉原の駅ビルを見たらどのような感想を持っただろうか。そんな思案がよぎった。
二つ目はポップ寄りな話題かも知れない。秋葉原を通るたびに「電車男」などに代表されるオタク文化も肌で感じてきたが、それにも勝って、最も熱気を感じたのは「AKB48」ブームだ。文字通り、街はAKB一色だった。AKB劇場の周りには、ファンたちが朝早くからチケットを求めて並んでいた。そして何よりも覚えているのが、主要メンバーの引退セレモニーだ。講演を終えたメンバーが、AKB劇場の窓からファンに最後の挨拶をする。それを見るためにファンが集まっている。大きな歓声が上がる。そのエネルギーは凄まじく、離れた距離からでも人々の感情のうねりを肌で感じ、まるで地響きのようだった。あの時の活気が、とても懐かしい。
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