『リング』と『呪怨』で思い浮かんだ「女性性」

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


記事をたくさん書ける時期になったので、さて書いていこう思った矢先、月に一度のレディースウィークがやってきました。

せっかく調子よく創作しようと気分が乗っていたのに、軽度の吐き気と身体の倦怠感に包まれて、気分が落ち込んでしまいました。

ですが、この状態になって想像してみたことを、今日の記事にして書いてみようと思います。


ただ、体調不良の時は、無理せずに体力をセーブした方がいい時があります。

老若男女関係なく、それぞれの体調を良好に保ちたいですね。



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最近の私の創作作業・学習BGMは、ホラー映画を聞き流すものになっています。

ジャンルは、日本のホラー映画で、主に『リング』『呪怨』関連の映画音声をヘッドフォンに流している状態です。


このところ休みなく続く酷暑と、おそらくPMSが重なって起こっていたでだろう、体の倦怠感や気分が乗らない状態を、「自分の気持ちがマンネリ化しているのだろうか」と思い、久しぶりにホラー映画を見て、気分転換しようと思ったのです。

前回ブームだった時は、洋画を中心に見ていたので、久しぶりに日本独特の「薄気味悪さ」や「理不尽さ」を求めて、日本のホラー映画界では有名だと思われる、女性2人に関連した映画を選びました。


その女性2人というのは、

映画『リング』に出てくる山村貞子、

映画『呪怨』に出てくる佐伯伽椰子です。

敬称略で書きましたが、普段、会話の中では「貞子ちゃん」「伽椰子ちゃん」と呼ばせていただいています。


今でこそ、普通にSNSに進出してきていて、人気のある彼女たちですが、作中でも語られている通り、お互い悲惨な最期を迎えています。

詳しいあらすじを知りたい方は、それぞれの作品紹介ページにてご確認ください。

映画『リング』(貞子ちゃん)↓

映画『呪怨』(伽椰子ちゃん)↓


映画の中で、次々と生きている人間に手をかけていくのですが、その場面を見てふと思ったことが

「私が今感じている吐き気や頭痛は、時間が過ぎれば治る可能性があるけれど、この2人は死んでしまった”その時の痛み”と、ずっと一緒なんだよね」

でした。

もっと分かりやすい表現で言い換えるならば、

「これらの作品の中では、2人が持つ”女性性”は癒されぬまま、痛みの連鎖が続いていくのだろうな」

と、思いました。


私たち「生身の人間」が生きる社会では、ようやく、女性性に目を向けられる機会が多くなり、月経を始めとした「女性の身体のこと・こころのこと」が、普通に話題に取り上げられるようになってきました。

特に、SNSを使って、苦しい・辛い気持ちを共感し合える仲間ができたり、その仲間同士で現状を発信して、少しでも他の誰かの力・支援になれる可能性があります。

このことに加えて、身体をケアする方法や、この時期に摂取するといい食材の紹介、不安な気持ちを落ち着ける時間を取るように促してくれる環境が、整いつつあります。

多くの人と、繋がり、痛みを自分独りで抱えなくてもいい選択肢を選ぶことができますし、選びやすくなってきました。


ですが、映画の中の、貞子ちゃんや伽椰子ちゃんは、不特定の誰かと繋がるための通信機器はおろか、周囲に少しでも彼女たちの痛みや苦しみを理解しようする人はいません。

2人の「あるがのままの状態」をよしとしない、圧倒的な存在や力、数が、彼女たちの存在自体を潰しにかかります。

「あるがままの状態」は、「心地いいこと」「説明ができないけれど、気持ちよく感じられること」だと思っていて、それを潰されるということは、言葉や行動による「慰め」だけでは解決することができない、「気持ちの悪さ」を強制されることではないかと、考えています。

その時に受けた、身体的精神的痛み・苦しみは「定期的に来る痛み」ではなくて「永遠に、その時のままであり続ける痛み」なのではないかと考えると、

「”女性性”を永遠に癒せない状態」は、「自分を虐げた種類のもの全てに対して、怒りを以て報復する」といった、想定以上に恐ろしい事態になるのではないか

と、感じたのです。


もちろん、投薬や体質変化で治る「痛み」もあります。

ですがそれは、「そう行動してよう」と思える「こころの余裕」を持てたり、「時間の余裕」があったり、変化しても受け入れてくれる「安心感」を感じられる居場所があると、信じることができるから、とも言えます。

苦痛を和らげるための、処方と道筋を示すだけではどうにもならない、痛いままの「苦しみ」や「辛さ」があります。

その度合いも、人によって違うので、

「そんな当たり前」と思われることを、まだまだ何度も何度も、表現していく・主張していく必要があると、思いました。


気分転換のはずが、深く考えることになってしまいました。

ですが、その深く考えた時間は、私の女性性が喜んでくれたのか、体調の不快感が少し引いてくれたように思います。


”女性性”は、全人種の老若男女が持っている、それぞれの「安心感」や「心地よさ」に直結するものだと考えています。

それを癒すことは、心地よく「人間として生きる」ことに繋がってくると、思うのです。



👻

トップ画像は 猫田まんじまる様 からお借りしました。

ありがとうございました!


みなさんからのスキを胸に、今日も貞子ちゃんや伽椰子ちゃんから、生きるとはどういうことかを学んでこようと思います。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさんが、穏やかな夜を迎えられますように。



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禧螺
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