人間と金の関連性
我々人間は普段仕事をして金を稼ぎ、金を使うことで金で得られる衣食住の全てを獲得している。裏を返せば、人間は金がないつまり一文無しならまともに生きていくことさえままならない。他の生物は金がなくても生きていけるのに、人間は金がなければ生きていけないことで、生きていく上での枷を一つ増やしていることになる。なぜ、人間がこんな状態にいるかというと、「知恵」を得たからだ。人間は知恵があるからこそ、「金」を使った「社会」という概念を作ることができた。人間以外の生物は、「確実に生きる術」はあるが、「安全に生きる術」はない。その日生きる食事を得るため、その日休む寝床を得るため、常に命を懸けた行動を人間以外の生物はとらなくてはいけない。しかし、人間は「金」と「社会」という概念を作ることによってその生物の理から逸脱した存在となった。狩りをせずとも食事が得られ、捕食者を警戒せずとも睡眠をとれる。「知恵を持つ生物」だからこそ「安全に生きる術」を見つけることができた。それだけでなく、他の生物よりも非力だからこそ、毎日毎日を確実に生き抜く力がないからこそ、「金」と「社会」で「安全に生きる術」を作り出さなければならなかったんだと思う。
「金」は人間を生命の円環から一歩抜けた場所へと到達させた。生と死が入り混じる野生の世界から意思と思考が渦巻く文明へ。、、、
「金」とは人間の進化の象徴であり、そして、生命の進化に対する逸脱の表れと自分は考える。
生物の終着点は「死」だ。進化を続けていく生命の終着点は「滅び」だ。生命は本来、自己を犠牲にして未来の存在へ繋げていく存在だ。人間もそれを理解しただろう。しかし、理解したうえで自分を自分として存在し続けたいと願った。ある種の存在意義を求めている。生命は、一つの繁殖行為で生まれる個体数が経るごとに高等生物として進化していく毎に強い自我を備えていくという性質があるが、人間はそういった性質の極致にいる生物なのかもしれない。仮に神が存在し、もしも生命の「型」もとい誕生し、死ぬを繰り返す生命の「型」を作ったとしよう。しかし、人間は生命としての断続的な存在ではなく、個としての永続的な存在になりたいと考えているのだ。その片鱗として現れたのが前述した「金」と「社会」なのではないであろうか。この二つは生命の円環から人間を逸脱させたのは先程述べたが、「金」を得るために行動する、もとい「働く」ことこそ人間が「こんな仕事をやってて意味があるのか?」など、「人間が物事に疑問を持ち、自分の意義を考え続けられる」ことも、人間が個として独立した存在になりたい。といった願望、生命の円環から逸脱した片鱗ではないのかと自分は考える。