惡の華
悪役が好きだ。
保育園のころ、園児の劇の出し物として「西遊記」をやることになった。
私は当時から途轍もない引っ込み思案で、名前のある役になどとても立候補できなかったし、なんならそのあたりに住んでいるモブ役の村人Cとか、もっと言ってしまえば森の木の一本なんかでもいいと思っていた。
そんな状態なので、私は当然役決めの時に、得意の「存在感を消す」方法でひっそりと息を殺していた。
しかしなんの因果だろうか。
私は唐突に「羅刹女」に抜擢されてしまう。
純粋に、その年齢にしては少し高かった身長が悪役にぴったりだったのだろうか。年齢のわりに大人びた見た目が悪役っぽかったのだろうか。
とにかくなぜか、こんな顛末で、私は必死で避けてきた「名前のある役」をやる羽目になってしまったのだ。
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当日、悪役然とした衣装と鉄扇を持って舞台に上がった私は、手に汗握るなどというような状態ではなかった。齢一桁にして、本当に緊張で死ぬかと心から思うなどした。
それと同時に、生まれて10年も経っていないにも関わらず、「正義の味方」になど到底なれない自分に気づいてしまい、そっと苦笑するなどした。
「そう、私はヒロインではないのだ。」
その事実に、たった5歳で気づいてしまった。
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大学時代、発達心理学の授業をとっていた。
そこでいかにも体育会系な、丸刈りの健康そうな色黒の教授が笑いながら話していたことがある。
「子供にアンパンマンとバイキンマンのボールを見せた時、たまに喜んでバイキンマンのボールを手に取る子がいるんだよ。私はそういう子供が本当に大好きなんだ。」
研究者としては、外れ値の被験者の方が知見が得られて面白いというところがあるので、まぁそう言った意味での発言であったのだろう。
それでもなんとなく、私は自分自身が許されたような気がした。
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「可愛い女の子」は、たくさんいる。
彼女らは思わず守ってあげたくなるような愛嬌と可愛らしさで、異性や、時に同性を魅了する。
多少のわがままやルール違反など、彼女たちにとってはないに等しい。
そして彼女たちはいつだって、王子様を見つけて幸せになる。
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一方、「ヴィラン(悪役)」である私たちの人生はどうか。
一人孤独に戦い続ける。同性だって異性だって、時には敵になってしまう。それでも、悪役である以上、助けてくれるヒーローの登場には期待できない。
自分以外の誰も、自分のために戦ってはくれないのだ。
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彼女達、「プリンセス」達が羨ましくないかといえば、嘘になる。
私だって誰かに守られたいし、助けて欲しいし、支えて欲しい。
それでも、たった一人自分を信じて、己の知略や力で戦い抜く「悪役」に愛おしさを感じてしまう。
彼女達はとても「美しい」と、私は思う。
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私は悪役でいい。
それはおそらく、生まれ持った性質の問題なのだ。足掻いてみたところで、何が変わるわけではない。
しかし願わくは、「美しい悪役」でいたい。
とても平凡で無彩色な物語を、少しでも美しく彩るために。
それだけを願っている。