キリアスティノス

原始キリスト教の研究者、林 義平氏の研究著作活動を支援し 本プラットフォームでコンテンツ発表する 新十四日刊行会です

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■なにをするサークルか 古くて新しい原始キリスト教に賛同する人々の交流の場として設けました。 ■活動方針や頻度 全国に僅かな賛同者の方々が発言し合う場として、試験的に始めたものですので、現状での方針は細かく定めてはおりません。当刊行会としては出版を進める上での意見なども伺えれば幸いです。 ■どんな人に来てほしいか 新十四日派の内容に賛同され,、出版に援助頂ける方 ■どのように参加してほしいか 記事、教理、出版物へのご感想などを交換して頂ければと思います。 他に今後の活動としての建議も見当できればと思っております。 教理へのご質問も初歩的なものでしたらある程度お答えできるかも知れませんが、林義平氏に直接メールなさる方が良いでしょう。

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    ¥500 / 月

マガジン

  • キリスト教の真相

  • 聖書の最初を知る

    人間自身とこの世について、それがどうして苦難を免れなかったかを五つの記事で解説。 創世記の最初の部分がいかに重い意味をもつのか、そこから始まる人間救済の壮大な物語である「聖書」が始まってゆく。

最近の記事

閉塞してゆく現代に聖書を説く

以下は、キリスト教に縁もゆかりもない方々にむけて、聖書やキリスト教とは何か? 本来の教えはどのようなものか?などを解説する書籍の紹介です。 宗教信仰が希薄化し、また科学崇拝に傾く世相の中でも、聖書とキリスト教は絶えることなく、今でも一定の人々を引き寄せる魅力を放っています。 しかし、その世界を覗いて「あの信仰」に引きずり込まれてしまっては、と躊躇する方も少なくないことでしょう。それでも、何かに惹かれ聖書やキリスト教にどのような内容があるのかと関心を持つ方々に向けて、この『

    • 人への神の目的

      神は人を創造されるに際し、それを『自らに象り』にされたと聖書は教えております。(創世記1:27) 創世記によれば、人が『神の象り』であることが、神の目的に深く関係しており、また、神が世界に悪を許している理由にも関わっております。 エデンの園での出来事を語る創世記のはじめの部分は、淡々とした神話的な語り口ではあるものの、そこには人間の最大の問題点の指摘があります。 『神の象り』である人間というものは、知的能力に優れるだけでなく、自由意思で決定し行動するという点で、基本的に本能

      • キリストは神か?

        キリスト教の神とはキリストのことですか? 教会員であれば、そう教えられているので「キリストは神です」と答えるほかに選択肢が有るでしょうか。 自分の天国行きさえ確かになるなら、教えられた通りにキリストを神と信じるままで良いと思う信者も、またその一方では普段からこの事で疑問うを持つ方々も少なからずいらっしゃることでしょう。 キリスト教の趨勢は、この教えで四世紀から一向に変更されることなく現代に至っています。その固執の根拠が「神の三位一体説」にあり、今日でさえ、疑うことも邪悪な異端

        • キリストの死を察知した一人の女

          『世界の福音の説かれるどこでもこの女のしたことは記念として語られる』                       マタイ26:13 ◆小さき村からの大いなる印 エルサレムの価値はシオンの小高い山の上に在って要害を成しているところにある。周囲にも幾つかの峰があって、市街の東にはキデロンの谷が刻まれており、その先は再び上り坂となってエルサレムを見下ろせるほどのオリーヴ山が更に高く峰を連ねる。 更にその山の尾根を越えて行くと下り坂となり、エルサレムは尾根の向こう側に見えなくなる

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        • キリスト教の真相
          2本
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          5本

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        • 基本的な内容の新マガジンの連載

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        • キリストの例え話 第一集 紙本出来

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        • ダニエル書の本旨

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        • 終末前のシオンの栄光は

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        メンバー特典記事

          迫害される聖徒と二千三百の夕と朝

          先の記事の『到来の避けられない躓かせる者』が、どのように旧約のダニエルの幻の中に予見されていたかについてこの記事で考察を語る。鍵となる言葉は『違背』(ペチャ) であり、契約への背きを意味する。 それは聖徒で成る民が受けた苦難と試み、またエルサレムの滅びやダニエル自身が経験していたバビロン捕囚に比すべき、終末に於いても聖霊による崇拝の中断をもたらすきっかけを作る、終末の「ユダ・イスカリオテ」と『北の王』なるシリア王との関連がそこに見える。 まず注目すべきは、このダニエル書に

          迫害される聖徒と二千三百の夕と朝

          『驚き怪しめ』 終末最大の異兆

          キリストの福音はナザレ人イエスの受難の死と復活に集約される。それはペテロやパウロをはじめ、初期の弟子らの宣教の主題であった。 だが、それはユダヤ教徒が思い描いていた華々しいメシア、即ちダヴィド王朝の地上の栄光ある座に就き、世界をも統べ治める強大なイスラエルの覇王というユダヤ人の旧来のメシア像を覆すものとなった。モーセの教えに固執した彼らがナザレの人イエスに見たものは、メシアとは程遠く低められた極悪人として処刑された騙り者であった。だが、イザヤの『堂々たる姿も、光輝もない』との

          『驚き怪しめ』 終末最大の異兆

          ゼカリヤ書の黙示が予告する終末

          これはお目出度い内容ではない。しかも、これらの言葉は未成就である。 終末に於いて『聖なる民』の受ける試練の重さ、凄まじさは、ご利益信仰の暢気な信者の与るところではなく、この内容が世間に広められるべき理由もない。この結末を予め知る必要があるのは、当の聖徒らだけであろう。 たとえこれら黙示的な内容を知った者であっても、かつて暗唱するほどタナハを熟知したユダヤの宗教指導者層が、結果的にメシアを退け、神の子羊を屠るという、だれも進んで行わないような事に手を染める最悪の悪人と変じてい

          ゼカリヤ書の黙示が予告する終末

          神は終末に現れるエサウを憎む

          本記事には前編あり無料、そちらは以下のリンクから https://quartodecimani.livedoor.blog/archives/52015958.html ◆「慰めの預言」の中でのエドム イザヤ書の第四十章以降は『慰めよ、慰めよ』で始まるために「慰めの預言」として知られている。ここからイザヤ書の内容も文体も変化しているために、近代から識者の間では「第二のイザヤ」が記したものとさえ捉えられてきた。イザヤの預言期間は、ユダ王国のウジヤから始まり、ヨタム、アハズ、そ

          神は終末に現れるエサウを憎む

          終末の『北の王』による三度の軍事行動と自壊

          (終末論 第三類) 狂気の帝国を崩壊に向かわせる三つの戦役 現代に在って極端な強権軍事国家が台頭したために、周辺諸国ばかりか全球的な影響を被る異様な状況が生じてはいるのだが、その強大な国家も突然の終わりを迎えると教える古代の記述があるといえば突飛な話と思われるかも知れない。 現に、二大覇権の争いは時代の変遷と共に移り変わってきたのだが、今や冷戦期のような間断のない対立が再来するに至った。特に超然たる独裁的な新興のその後発の国家は、平和的台頭をせず、世界覇権を画策し時代の進

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          キリスト教とはどのようなものか

          キリスト教とはどのようなものか

        記事

          「あなたがたは世の光」その意味

          あなたがたは世の光     マタイ5:14 『あなたがたは世の光。山の上にある街は隠されることはない』。 この言葉は、あの有名な「山上の垂訓」の中で語られた中にあります。 イエスはそのときの聴衆に『あなたがたの光を世に輝かせるように』と言われました。 しかし、なぜ『山の上の街』を『光』に含めて語られたのでしょうか? 実は、この『街』を知る事は、その『光』がどのようなものであるかを知る手掛かりでもあるのです。 そこでまず、この講話を聴いていた人々がイスラエル人であったこと

          「あなたがたは世の光」その意味

          迫害される聖徒と二千三百の夕と朝

          先の記事の『到来の避けられない躓かせる者』が、どのように旧約のダニエルの幻の中に予見されていたかについてこの記事で考察を語る。鍵となる言葉は『違背』(ペチャ) であり、契約への背きを意味する。 それは聖徒で成る民が受けた苦難と試み、またエルサレムの滅びやダニエル自身が経験していたバビロン捕囚に比すべき、終末に於いても聖霊による崇拝の中断をもたらすきっかけを作る、終末の「ユダ・イスカリオテ」と『北の王』なるシリア王との関連がそこに見える。 まず注目すべきは、このダニエル書に

          迫害される聖徒と二千三百の夕と朝

          宗教は叡智ゆえに存続する -その効用-

          いつの時代にも、人類は宗教と分かち難いものとされてきた。 かつてソビエト連邦では、宗教を終わらせるために、宗教施設の没収や聖職者の追放、学校教育での徹底した無神論の指導がなされ、レーニンはいずれ科学の叡智の前に宗教の灯火は消えてしまうであろうと考えたが、民衆の無言の抵抗は侮り難く、やがて消えてしまったのはソビエト体制の方であった。 おしなべて人間は宗教を希求するものであることがここにも明らかであろう。古今東西、宗教を持たずにいた民族があっただろうか? 人と宗教とを引き離す試

          宗教は叡智ゆえに存続する -その効用-

          キリストの再臨とこの世の裁き

          ◆やがて実現する二度目の来臨 かつてユダヤに現れ、広く奇跡を行って人々に知られた『ナザレ人イエス』は「初臨のキリスト」と呼ばれることがあります。 キリスト・イエスは天に去った後、いつの日にか戻って来られることを自ら告げていたので、キリストの帰還について後の人々が「再臨」と呼ぶようになったのは過去と将来での二度の現れの対照からして自然なことであったでしょう。 「再臨」という言葉は聖書にはありませんが、イエスは確かに『人の子が来るとき、果たして地上に信仰が見られるであろうか』ま

          キリストの再臨とこの世の裁き

          あなたの内側にあるものを与えよ

          『内側にあるものを施し与えよ、そうすればあなたがたは全身が清くなる』  ルカ11:41  マルコ7:15/マタイ15:11 ◆現れたキリストへの宗教家の反応 ナザレからの人イエスの評判は、その行う奇跡の見事さにより、瞬く間にユダヤ、ガリラヤ、ヨルダンへと知れ渡ってゆきます。 そこでイエスがユダヤに知られてゆくにつれ、それまでユダヤでの宗教の趨勢を荷ってきた宗教家、人々からユダヤ教の専門家のように見做されていたパリサイ派の中からも、ナザレからの人を無視できず、イエスとの交友

          あなたの内側にあるものを与えよ

          聖餐式や聖体拝領の原点

          キリストによって制定されたこの儀式の意味はいったい何か? 『主の晩餐』についての書籍を刊行 キリストが定めた唯一の定期儀礼である『主の晩餐』の本来の姿を追求し その不変の意義を考察する 今日のキリスト教界では「ミサ」や「聖餐式」とされ、キリストの復活の記念、また信徒がキリストと一体となる有難い行事とされているところのキリストが最後の晩餐で制定した『主の晩餐』について、その本来の意義を解説し、儀礼の意味するところに考察を深める書。 「聖なる晩餐 主の到来までの定期儀礼」

          聖餐式や聖体拝領の原点

          イスラエルの災難の歴史からの教訓

          信仰者の不信仰という矛盾 (イスラエルの起源から語る1万5千文字の長文御免) 神の選民を誇るイスラエルながら、その神との関わりに見られる赤裸々な姿は、聖書に在って反面教師であり、常に僅かな人々が『イスラエルの残りの者』としての神の是認にかろうじて預かっている。確かに、聖書の多くの箇所で、神はイスラエルを無条件に是認してはいない。神との契約に在って忠節な側に立つ者は民の中の少数であったのが総じた実態である。 使徒パウロは旧約のイザヤの預言を引用して、神がイスラエルに裔を残さ

          イスラエルの災難の歴史からの教訓

          キリストとなる前の存在 「ホクマー」

          さて、過越しの子羊の対型がキリストであることは別にしても「お前はいったいどこから来ているのか?」と訊ねたローマ総督ピラトゥスの質問への答えが残っている。イエスとはそもそも何者か?(ヨハネ19:9) ユダヤ教徒はかつてナザレ出身のイエスなる人物が実在し、当時の世間を騒がせたことは認めてはしても、重罪人であると決め付けて裁いたうえで極刑に処させた以上は、今更あの人物をメシア、即ちキリストであったと言うわけにはゆかない。 他方でイスラム教徒にとってのイーサー[イエス] は偉大な預

          キリストとなる前の存在 「ホクマー」

          タラントとミナの例え 賜物の恐怖

          ミナとタラントの例え (ルカ19:11-27/マタイ25:13-30) 時を経た後の主人の帰還と、仕える僕たちとの間の清算というこの内容は、キリストが去った後に、弟子たちに何かの「成果」が求められることを知らせるものですが、下僕の一人の仕事の放棄が特に際立っています。 しかし、この例えの意味についてキリスト教界で明解にまた意義深く知られているということもありません。 貨幣である『タラント』が「タレント」の語源を共にすることから、「クリスチャン」方が、才能や資産を用いて「イ

          タラントとミナの例え 賜物の恐怖

          贖罪の日と仮小屋の祭り

          ユダヤの暦での初秋の月ティシュレイになると、イスラエルではその年の産物の収穫が終わり、人々は作物を賜って一年が締め括られる雰囲気が醸し出されるとのことです。(詩篇65) このティシュレイ月の一日は「ヨム・テルア」と呼ばれ角笛の吹奏が行われる日です。(民数29:1) 神は律法に三つの祭りを定めていましたが、秋の空に響く角笛の吹奏の音には、定められた三番目の祭りが近付いていることを知らせる意味があり、これに先立つ春の『過ぎ越しと無酵母パンの祭り』、また初夏のペンテコステとも呼ばれ

          贖罪の日と仮小屋の祭り

          エホバの証人に贈る書

          輸血拒否、体罰、忌避など「エホバの証人」また「ものみの塔」といえば、昨今その特徴的な信仰行動について報道され、世にも広く知られるようになってまいりました。 この信仰にない外部からすれば、この人々の実害のある行動が奇異にも、また気の毒にも感じられます。そのため当の信者は外の人々の様々な否定的反応に耐えてゆかねばなりません。 しかし、それらの表面に現れる行動の原因はその「教理」にあり、信者である「エホバの証人」はもちろんその教えを心から信じ込み、「良いつもり」というより、むしろ誠

          エホバの証人に贈る書

          『驚き怪しめ』 終末最大の異兆

          キリストの福音はナザレ人イエスの受難の死と復活に集約される。それはペテロやパウロをはじめ、初期の弟子らの宣教の主題であった。 だが、それはユダヤ教徒が思い描いていた華々しいメシア、即ちダヴィド王朝の地上の栄光ある座に就き、世界をも統べ治める強大なイスラエルの覇王というユダヤ人の旧来のメシア像を覆すものとなった。モーセの教えに固執した彼らがナザレの人イエスに見たものは、メシアとは程遠く低められた極悪人として処刑された騙り者であった。だが、イザヤの『堂々たる姿も、光輝もない』との

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