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あなたの内側にあるものを与えよ

『内側にあるものを施し与えよ、そうすればあなたがたは全身が清くなる』
 ルカ11:41
 マルコ7:15/マタイ15:11

◆現れたキリストへの宗教家の反応
ナザレからの人イエスの評判は、その行う奇跡の見事さにより、瞬く間にユダヤ、ガリラヤ、ヨルダンへと知れ渡ってゆきます。

そこでイエスがユダヤに知られてゆくにつれ、それまでユダヤでの宗教の趨勢を荷ってきた宗教家、人々からユダヤ教の専門家のように見做されていたパリサイ派の中からも、ナザレからの人を無視できず、イエスとの交友を試みる人も現れています。

ヨハネ福音書の第三章には、イエスの活動の初期に、人目を避けて夜になってからイエスの許を尋ねて来たユダヤ最高議会(サンヘドリン)の議員であったパリサイ人ニコデモが、イエスに『神が共におられないなら、あなたのなさるような印は誰も行うことはできません』との信仰を告白する場面があります。

当時のユダヤの宗教体制の中枢に詳しい立場にいた使徒ヨハネが福音書に述べるところでは、このニコデモばかりでなく『議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、パリサイ派の人々から会堂から追放されるのを恐れて公に言い表さなかった』とあります。当時のユダヤ教徒は教えを受けるために各地の会堂(シュナゴーグ)に集い、安息日や新月の日に律法をはじめとする聖書の朗読や宗教家らの講話を聴く習慣がありましたが、会堂から追放されると、ユダヤ教から破門された状態となり、教えを受けることができなくなってしまいますし、人々からは見下げられることにもなります。(ヨハネ12:42)

当時、サンヘドリン議員やパリサイ人がイエスの現れにどのように反応したかについて、やはりヨハネが福音書の中で『議員やパリサイ派の人々の中で、あの男を信じた者がいるか』と豪語する彼らの発言が記録されているのですが、実は、そのように頑固にイエスを拒む者が大勢であったにしても、すべてがそうではなかったのであり、ヨハネは面子や人の怒りを恐れて傍観している宗教家も居た内情を伝えています。(ヨハネ7:48)

そのため、パリサイ派でありながらも、イエスを食事に招待している場面がルカ福音書の中だけでも三度あります。(7章11章14章)
ここで取り上げるのは、ルカ11章にある二回目のパリサイ人から招かれた宴席です。
この日のパリサイ人からの招待の場面では、宗教家らに対するイエスの容赦ない告発の言葉の数々によってその宴席はまったく台無しになってしまいます。ここではパリサイ派をはじめとする書士や律法学者の人々に対する身勝手な優越感が論題となるのでした。

ユダヤ人は、アブラハムによって神から約束された地を受け継ぎ、モーセからは律法契約を神との間に結んだということで、その血統に属するというだけでもあらゆる諸国民よりも神に近く、是認を受けた民であるという自負があったうえ、中でも熱心な人々は、与えられた律法を正しく守っている自分は神の前に義人であるという誇りもあったので、特にパリサイ人は特徴的な服装や行動ですぐにそれと見分けられました。彼らからしてみれば、神との契約に在り、その言葉に厳密に従っている自分たちこそが、世界で最も正しい宗教の信者であると思い込んでいたことでしょう。これはどこの宗教界にもよく見られることではあります。

加えてユダヤの宗教家らは、モーセの律法に厳密に従う自分たちが神の前に義人とされることを願うあまりに、律法そのものに自分たちで定めた多くの「ミシュナー」と呼ばれる附則を付け加えて、律法以上に生活上の細々した規則を守り行うことで自分たちを高め、一方で、十分にそれができない人々、またミシュナーの数々を知らない人々を卑しめていたのです。実際、彼らが『地の民』(アムハーアハレツ)と呼んだユダヤの下層の人々に対して『律法を知らないこの群衆は、のろわれているのだ』との発言も聖書に記録されています。(ヨハネ7:49)

しかしその高慢な態度は、ユダヤ人であっても十分にミシュナーを知らない人々ばかりか、会堂に相応しくない者とされ出入りを禁じられた収税人や娼婦らにも寄り添うイエスとは正反対で、宗教家たちはイエスが誰にも分け隔てしない態度に不平を鳴らすことさえあったのです。(ルカ5:30)

そしてその日、パリサイ人の家にイエスが招かれると、そこには書士や律法学者も同席しています。
イエスと彼らとの間には心の中に大きな違いがあり、その精神は真逆で折り合えるようなものとは言えません。
その時には使徒らもその席を共にしたようでその様子をルカ福音書が詳しく伝えています。
では、そこで何が起こったのでしょうか。

◆食事の席で起こったこと
事の発端は、イエスの一行が食事の前に手を洗わないのを見て、宗教家らが大いに驚いたところからのものでした。
確かに食事の前に手を洗うことには衛生上好ましいことでありますが、律法には衛生のための規定もいくつかあるのですが、食事の前に手を洗わなければならないという条項が見当たりません。ですからこの場面は、単に衛生上の問題ではない背景を示しています。

なぜなら、ミシュナーに規定された習慣で、彼らは食事に際して人が定めた儀礼を守っていたからであり、彼らは口頭伝承のしきたりを守って食事の前には水差しと水盤を用意させ、滴り落ちる水の中で入念に手を洗っていたことをマルコ福音書も記しています。(マルコ7:3)
また、市場に出かけたなら水浴びをするというしきたりまでありました。もとより律法には病気を予防することになる幾つかの水浴びの規定もありましたから、当時のユダヤ教徒の清潔さは病気の蔓延を抑え、健康に寄与したという衛生上の利点はあったことでしょう。

ですが、手洗いを儀式のようにまで行う根拠を与えたミシュナーというこの付け加えは、モーセの時代から文字として記されずに伝えられた口頭伝承であるとの触れ込みで、タンナーと呼ばれた律法学者らの時代、それも西暦前2~3世紀になって急に文章にされたしきたりであり、「古来の伝統」というには新し過ぎます。
やはり、ミシュナーの様々な規則は律法の持つ荘重さに欠け、卑近な雑事に「何歩まで歩くか」、「何文字まで書くか」、「どれくらい距離を取るか」など、細々と拘るものであるばかりか、律法の精神と矛盾するところも少なくないので、『律法を成就するために来た』と言われるイエスとの衝突は初めから避けられなかったのです。

そのミシュナーでは、手を洗わないユダヤ教徒は娼婦と関係した者と同列に見做され、手を洗うことを疎かにする者は滅びに値するとまで言うのですが、これは神の祭儀に関わるときの祭司に要求された律法の手洗いの条文の拡大解釈です。宗教家らは祭司でもなく、食事の場所も神殿ではないのです。ですから、彼らがどれほど自分たちの清さに執心していたかが知れようというものです。

こうしたミシュナーのため、彼らが食事をするためには、まず腕に巻かれた皮紐を解くところから始まります。その皮帯は今日でもユダヤ教の正統派の人々の間で見られるものですが、その皮紐には「シェマ」と呼ばれる申命記第六章の一部を記した経札が付属していました。このようにするのは申命記のその部分に『これらの言葉を・・手に括り、額帯としなければならない』とあるのですが、彼らはこの字句通りに小さな経札を書いて腕に結び、それを皮紐で腕に結わえ付け、額にもその中央に経札を収めた小さな箱を皮紐で鉢巻のように身に着けていたのです。

つまり、彼らは、モーセのそれら『手に括り』の言葉を「行動に表す」、また『額帯とする』を「常に念頭に置く」という意味から離れ、実際に体に巻き付けることで神の意志に従っていると思い込んでいたのです。(申命記6:8-9)
パリサイ人は、その皮紐に経札を結わえた「ティフェリン」を付けたままでトイレに行くことも憚れたので、それを外すまでは用も足せませんし、しかもトイレから4アンマ(約1.8m)離れた場所にそれを置き、汚れから離すことを決まりとしていたのです。

手を洗うにしてもその教札を巻き付けた皮紐を解くことになり、食前にもそれを巻いていた肘までを水で洗い清めますが、まず利き腕の方から二回水ですすぎ、それから反対の手を同じく二回すすぎ、さらには、タオルで手を拭って決められた祈りの言葉を唱え、さらに何を口にするにしても必ず決められた感謝の祈りを唱えるべきとしていました。それまで話をしてはいけません。それからパンを食べることが許されます。もし、食事の前の祈りを忘れるような事があれば、その者は食事を中断して祈らねばならないだけでなく、食事の後で祈らなかった事を思い出したなら、食事をした食卓まで戻って、忘れた分の祈りをしなければならないとも決められていたのです。

イエスも、奇跡の給食をする際に食事の際にも食物について祝福していますが、それはパリサイ派のような儀式ではなかったでしょう。広野に集まった数千の聴衆に、手を洗う儀式を要求するはずもないからです。むしろ、イエスは奇跡の給食でそれら三日もご自分の許に留まった人々にパンと魚を余るほどにお与えになっています。ですから、宗教家らの儀式化された手洗いは、単なる衛生上の問題を越えていて、そこには清潔さを利用して自分を高めようとする思惑が働いていることでしょう。この度のパリサイ派との食事では、早くもこの点から争論となります。

マルコ福音書には、ユダヤのパリサイ派がこの件で『あなたの弟子らが古来の伝統に従わず、手を洗わないのはどういうことか』と問い詰めている場面があります。そこでのイエスの答えは『あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神の戒めを捨てたものだ』というものであり、親を敬えという律法の基本的な教えも、彼らのミシュナーが親の必要物であっても『コルバン』つまり「神に献じられたものとなっています」と言えば、それは親に与えなくてもよいとしていたことを例に挙げ、その表面的な敬虔さが実は神の意向を無視している矛盾を暴きます。『親を敬え』とは十戒の第五戒であって、重要さに於いて到底ミシュナーなどが影響できるはずもありません。そうして表面的な敬虔さを見せながら、実は神の律法の根幹を成す精神を無効化していたのです。(マルコ7:9-13)

そして今回は招かれたパリサイ人の家で、イエス自身から彼らの表面ばかりの「敬虔さ」が暴露されることになり、もはや食事の席に相応しくないパリサイ派をはじめとするユダヤ宗教体制の激烈な論争の場と化してしまうのでした。

◆イエスに告発されるユダヤの宗教体制
イエスが食事の前に手を洗わないことに居並ぶ宗教家らは驚いたのですが、彼らからしてみれば、奇跡を行う神からの人が、ミシュナーに従わないことなど考えられない常識外れに感じられたのです。
それを察知したイエスは、当時の宗教上の決まり事を守って自分の義を誇る彼らに痛烈な一撃を与えます。まず、最初の告発の的となったのはパリサイ人でした。

『あなたがたパリサイ人は、杯や器の外側を清めるが、あなたがたの内側は貪欲と邪悪とで満ちている。愚かな者たちよ、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。だから施しをして器の中にある物を人に施し与えよ。そうすれば、あなたたちは全身が清くなる』。

これはパリサイ人らが、自分たちが律法を守ることで自分の外面を良く見せておくその態度が、実は内面では自分の利益に執着していて、他の人々には無関心であることを外面と内面との矛盾によって暴く言葉です。
彼らの内面は、つまり、人々に対する想いでは外面の清潔さとは逆に汚れていたのです。

しかし、イエスの暴露はこれで終わりません。
『あなたがたパリサイ人は災いだ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、公正と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきなのだ』。

パリサイ派は律法を厳密に守ろうとするので、薄荷や香辛料などのごく僅かに取れる砂粒のようなものまでも正確に十分の一を測り分けて神殿に奉納していたのですが、それも自分が義とされるための拘りに過ぎず、それは神を愛するというよりは自分を愛していたと言われても仕方がないでしょう。心の奥にあるものは利己心だからであり、公正を装いながら不公正であったのです。

イエスの告発は容赦なく続きます。
『あなたがたパリサイ人は災いだ。会堂では上席に座ることを望み、広場では挨拶されることを好んでいる。あなたがたパリサイ人は災いだ。人目につかない墓のようなもので、その上を歩く人は気づかない』。

イエスの鋭い言葉は追い打ちをかけるようにパリサイ人の面目を切り裂いてゆきます。彼らは律法を守っているという自信からユダヤ教の会堂では優越感を隠すことなく中央の席に座り、広場でも人々からの尊敬をこめた挨拶を受けることで自らの立場に満足を感じていたことでしょう。これは彼らの内心に巣喰う傲慢さをさらけ出す痛烈な批判です。

また、律法は死骸に触れた人を汚れたものと見做し、墓に触れた者は夕方まで「汚れた者」としての負い目を受け、崇拝などで数日制限を受けるものとされていましたから、墓を白く塗って間違って近づき汚れを受けないようにするのがユダヤの習慣であったのですが、その目印がない墓には、不意にそこを踏んでしまう危険があったのです。パリサイ人がそのような墓のようだというのは、良いつもりで行っている彼らの業が、意図せず人に厄介をもたらす汚物のようだと言っていることになります。

さすがにこれには堪らなかったのでしょう。パリサイ派の教師に当たる律法学者らが口を挟みます。
『ラビ、そんなことをおっしゃるのは、わたしたちをも侮辱することです』。食事に招待してイエスに好意を示した彼らにすれば、これはもっともな発言でしょうが、父である神を愛し擁護するイエスはここで妥協などしません。
律法学者らもラビ、つまり人々から「教師」と呼ばれていたのですから、ここで彼らもイエスをラビと呼びかけて一定の敬意を払いつつ、その場を収めようとしてことでしょう。

ですが、イエスの糾弾はその律法学者らにも向かってゆくことになります。
『あなたがた律法学者も災いだ。負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない』。
ミシュナーという律法に付け加えた無数の規則を唱えた彼らは、弟子であるパリサイ派をあれほどの傲慢に導いた根源であり、律法より厳しいミシュナーを守っているという慢心を抱き、同時にそのように出来ない普通の民、また罪人たちを見下す根拠を与えていたのです。

まさしく、無数の規則でユダヤの民を縛り上げ、自分では苦しむ人々を顧みもせず、自分は神の是認を得る方法を教えているのだという自負心に浸っていたのでしょう。こうして、その憐みのない規則主義が遠慮のないイエスの言葉に白日の下に曝されます。イエスは父である神のご意志に心を砕いているのであり、創造の神が圧制者でもなく、規則を守る人間をただ喜ぶような器の小さい方でもありません。『人はそのあらゆる罪と冒涜を赦されるのであり、ただ聖霊を冒涜すること』、すなわちイエスの行う奇跡に神を見出さず、イエスを誹謗することこそが真実の罪であることを知らせます。

他方で、律法学者らの編み出したミシュナーは、人々が神の前に清くあるためにはある程度の経済的余裕を必要としていましたから、貧しい人々は清さを諦めてもいたのです。しかし、イエスは貧しい者、罪人を避けることをせず、『失われたアブラハムの子』として個人を顧みて奇跡を行っては彼らを癒し、その信仰が深いほどに褒め、信仰についてはアブラハムの子孫ではない異邦人をも評価します。

これは律法を与えられた民としての優越性を誇り、規則を墨守することに没頭したユダヤ体制派の宗教家らの価値観とは大いに異なっていましたから、これら二つの異なる価値観はいずれ衝突が避けられない道理があったのです。
しかも、それはパリサイ派側からの融和的な宴席への招待という、関係を荒立てず穏便に済ませる場面をわざわざ破壊するような言動を以ってイエスはその対立を先鋭化させたのでした。

イエスの鋭い言葉はさらに続いてゆき、ついにこう言われるのでした。
『あなたがた律法学者は災いだ。知識の鍵を取りあげて、自分が入らないばかりか、入ろうとする人たちを妨げてきたのだ』。
旧約聖書が教えることは、やがて到来することになる新たな教え、つまり『新しい契約』に属する知識を受け入れる素地があったのです。
その点で律法学者の行ってきたことと言えば、細々した事柄を回数や歩数や重さなどという律法の字面を追うばかりで、そのための規則を無数に考え出しはしても、寡婦や父無し子、異邦人旅行者や奴隷への配慮というような律法の言葉の奥にある神の精神を脇に押しやり、その関心が自分に向かっていたため、律法を守ることを無上の目的にしてしまって、『文字によらず律法を彼らの内に置き、その心に記す』といわれた新しい神の崇拝とその神の精神には無関心であり、またその教えを受ける者たちからも、律法に込められた真の知識の鍵となるような価値観を奪っていたのです。

彼らの教えは結果として、聖書の神を厳格なばかりの規則偏重者だとしていたのですから、そこから神に関するまともな知識が生じるわけもありません。これはユダヤ教ばかりでなく、あらゆる宗教に於いても人の敬虔さの外見が必ずしも価値あるものや優れた精神を表わさないことへの警告でもあります。

しかし、こうまで言われてもそれに気づき、自ら省みることができるような宗教家でもありません。もし、自覚できるようならイエスに告発される前にその道を悔い改めていたことでしょう。
こうなると、奇跡を行う神からの人であるかも知れないと宴席にイエスを招いて交友を深めようとした宗教家らの思惑は全く当てが外れてしまいました。もはや、食事どころではなかったのでしょう。
この言い争いを聞きつけたのか、そうしている内に多くの群衆が足の踏み場もないほどに集まってきます。そこで宴席を後にしようとするイエスに向かって宗教家らは猛然と口々に問い立て、言葉尻を捕らえようと食って掛かっていったのでした。

それからイエスは弟子たちに語って、『人の口に入るものが人を汚すのではなく、口から出るものが人を汚す』と言われます。
さらにその意味を加えて『口に入って来るものはみな腹の中に入り、それから外に出て行く。しかし、口から出て行くものは心の中から出てくるのであって、それが人を汚す。というのは、悪い思い、即ち殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、人の中から出てくるのであって、これらが人を汚すのだ。しかし、洗わない手で食事することは人を汚さない』。(マタイ15:18-20)
やはり、イエスと宗教家らの争点は衛生上の問題をはるかに超えたもので、宗教家らの内面に問題があることが強烈に暴露されていました。彼らは外面の清さに執着していながら、人の内面での遥かに有害な汚れには注意していなかったのです。

しかもイエスは宗教家らについて追い打ちをかけるようにイザヤ29章13節を引用し、こうも言われました。
『 偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、「 この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の命令を教え、無意味にわたしを崇拝しているからだ」』。(マタイ15:7-9)

◆宗教家らの悔い改めの道
しかし、イエスはこれら宗教家らにも自らを改める道を語られていたのです。
『愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。
それだから、施しをして内側にあるものを与えよ。人にそうすれば、あなたがたは全体が清くなる』。(ルカ11:40-41)

当時の宗教家らが拘ったのはまさしく彼らの外見であり、自分たちがどれほど義に適っているのかという利己的な考えに凝り固まっていたのです。そのような彼らであっても、イエスは一つの悔いる道を説かれていたのです。
それは外見に拘る彼らにも「内側」があるはずであり、イエスはそれを呼び起こし、人々にそれを施すなら彼らも汚れを離れて清くなれると言われたのです。その内側にあるものとは、そのとき彼らの内側に充満はしていた邪悪な思いの数々とは言えません。彼らが外面を清めようとしたような内面のことに違いなく、まず、その内面を清めることが、真にその人を清くできたのです。それは利己的に自分の『義』を追求するのをやめ、人々を自分自身のように愛することであったことでしょう。

イエスのこれらの宗教家らへの強烈な批判の言葉の数々は、受難を控えた最後の過ぎ越しにエルサレムに上った際にも繰り返されており、それはマタイ福音の二十三章に記録され、その中では『まず、杯の内側を清めよ。そうすれば、外側も清くなる』と付け加えられています。これはこのルカに記されたパリサイ人の招待の席の記述を補足しており、明らかに彼らが心を清め、人々への接し方、考え方を変えるよう促していたことが明らかです。

◆一人の身を転じたパリサイ人
さて、人が宗教に熱心になるとき、容易に自分を高めたくなる誘惑に駆られます。
教理の理解が深まると、それをまだ知らない人々よりも自分が優れたように錯覚し易いものですし、道徳的な行いを積んでくると、その点で十分ではない人と自分を比較してしまいがちであることは様々な宗教でも起こり得ることでしょう。
また、自分と同じ信仰にない人々をどう見ているでしょうか。
キリスト教徒で「不信者は地獄行き」と教えられているなら、人を『神の象り』に創られたという創世記の基本、また、『すべての人が悔い改めに至ることを望まれる』という神のご意志に沿って考えず、バプテスマを受けたかどうかという外面で人を偏り見ていることにはならないものでしょうか。

その点で、当時のユダヤの宗教家らは端的な反面教師であったといえます。
この人々に必要であったのは、『内側にあるもの』つまり『愛や憐み』という特質であったのであり、イエスは彼らにはそれらの特質が無いとは言われず、その特質を表して人々に接するよう説いていたといえます。それが律法や預言者らの意味するところであり、それをイエスは『自分にして欲しいと思うことを同じように他の人にしなさい』とのよく知られたこの一言に表されていました。(マタイ7:12)
自分は義人であると思い込み、救いを望みながら頑固な宗教家らに対して、イエスは『わたしは義人ではなく、罪人を招くために来た』とまで言われましたが、それは自信に溢れ高慢な「義人」である人々には理解されない言葉となったことでしょう。(マルコ2:17)

こうしたイエスと宗教家らの論争を読むと、彼らほどに傲慢不遜な者らからは温和で愛に厚い人物が現れることなどとても望めないように見えます。
しかし、パリサイ派の中でも最も過激に行動し、イエスに信仰を持った人々の家々に押し入り、男であろうと女であろうと容赦なく引きずり出して捕らえ、牢番に引き渡していたサウロという人物を思い起こせば、当時の熱烈な宗教家であっても、その『内側のもの』を失っていたわけではないことの証拠を見出すことになります。彼こそは後の使徒パウロとなった人物であり、『わたしはあなたがたの間に在って、母がその子どもたちを養い育てるように、優しく振舞った』と弟子たちに語っているのです。(テサロニケ第一4:7)

このパリサイ派の急先鋒がキリストの使徒パウロとされてからは、それまで自分が冷酷な迫害者であったことを『負い目』として感じ続け、それだけ仲間を大切にする姿を使徒言行録にも、彼の手紙の数々にも見出すことができます。恰も「鬼」のように恐れられていた迫害魔がその生き方を改めたときでこそ、多くの弟子たちはパウロの変化に半信半疑ではありましたが、それにめげず主イエスの『選びの器』に相応しい大活躍を見せるに及び、頼られる存在へと見事な変貌を遂げてゆきました。それはかつての彼の悪が却って彼を愛に動かしたとも言えるほどに自ら迫害の渦中に身を投じ、多くの苦難を忍んでいます。ですから、イエスに激しく反対していた宗教家であろうとも、心の内面に立ち返ることができなかったとは言えません。

まさしく、旧約の預言の中で神ご自身が『わたしは悪人の死を喜ぶだろうか。いや、わたしはその者が悔いて行いを改め、生き続けることを願う』と言われます。(エゼキエル18:23)
神の意志からすっかり逸れてしまい、今やご自身に敵意さえ募らせる宗教家らにさえ、イエスは『内側にあるものを与えよ、そうすれあなたがたは清くなる』と語り掛け、引き返す道を示されていたのです。

しかし、あの日の食事の席でイエスと争っていた時の宗教家らが『内側にあるもの』という言葉を悟る余裕はなく、イエスがその場を離れるに際し、宗教家らはその後を追って激しく質問して詰め寄ったとルカは記していました。

◆『業』と『信仰』という道の分かれ目
こうして見ると、宗教というものが信仰する人にもたらすものが同じにはならず、まったく人それぞれになる事を教えられます。
キリストの姿を見ても、同じユダヤ教の人々の中から違った反応が引き出されたことは、今日キリスト教に接する人々に対する大きな教訓となっています。

では、わたしたち個人はキリストにどのように反応するでしょうか?
これは非常に重要な問題であることは間違いありません。
わたしたちは誰もが『アダムの罪』を負っているので、この世から犯罪も戦争も無くなりません。
それゆえ誰もがキリストの犠牲による『罪の赦し』を必要としていることを忘れるべきではありません。
このことは、律法体制下でも度々に語られてきたことで、詩篇の第130には、神に向かって『あなたの見つめるものが罪科であったなら、いったい誰が御前に立てましょうか』とあります。では、今更自分の外見を取り繕うどんな理由があるでしょうか。神が人々のあらゆる罪を進んで赦される目的でキリストを遣わされたのであれば、どうして人が自力で罪の無い外面を取り繕うことが出来ましょう。

パウロが言うように、『律法は(人類の)罪を明らかにするためのもの』であり、ペテロも『負いきれない首木』であったことを明言しています。律法をすべて守りきれた人はイエス・キリスト以外には一人としていないのであり、「自分は品行方正で正しい人間だ」と誰かが云うとすれば、それは人間というグレーな存在の実態を見損なっているのです。
まさしく、当時の宗教家らが人々に与えていたものは、見せかけの『器の外側』であって、事の本質を外していたばかりか、余計な荷を負わせ、却ってこの内面は汚れていたのです。

ここに『律法』というものに対する二つの異なった反応が見られます。
一方は、それを守れば神の前に義を得て救われることを目指していましたが、これを『義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった』と、元はパリサイ人のパウロが指摘し、『なぜなら。彼らは信仰によらないで、業によって得られるかのように、義を追い求めたからである』と語り、キリストの犠牲による『罪の贖い』への『信仰による義』を明らかにします。(ローマ10:3)
こうして、『業』と『信仰』とが対置され、『アダムの罪』から逃れる二つが拓かれました。それは、外見を取り繕う行いの『義』と、自らの罪深さを正直に認め、ひとえにキリストの犠牲による罪の赦しを信仰する『義』であり、正反対の態度です。

ですから、神はキリスト教を通して「正しい生き方を教えて是認を与えている」と想うなら、それは大きな間違いであり、神が人に求めるのは、他の人々と自分を差別化して「正しい人」を装うことではありません。それでは「愛と赦し」というキリストの教えで最も重要なものを見失っているのであり、律法の業による義に固執したユダヤ教宗教家らの誤りを繰り返すばかりです。

そのような態度は周囲の人々への利己心を増しても、温和さや愛情を育てはしないのであり、イエスはそのような利己的な精神とまさしく戦われたのです。『罪』の対極にあるものは『愛』であり、『愛は多くの罪を覆う』とペテロが言うように、当時の宗教家らはイエスの教えのこの本質に近づく機会を逸してしまいました。(ペテロ第一4:6-7)
彼らは『罪』を逃れようとして『義』を求めても、本当に『罪』から逃れるために『愛』の道に入ろうとしなかったので、かえって『義』を得損なっていました。(ローマ10:3-4)
その『愛』が導く先にあるものが『信仰』でありますから、パウロは律法の定めではなく『愛によって働く信仰に価値がある』というのです。(ガラテア5:6)

宗教家らと論争したイエスはご自分の目的についてこう言われました。
『わたしは火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに着火していたならと、わたしはどんなに願っていることか』。
確かにユダヤ教体制派とメシアとの論争の火蓋は切って落とされていたのです。(ルカ12:49)
キリスト教とは、単に人の人格を高めて善良にするだけのものではありません。まして、誰かを高め、誰かを低めるものでもないのです。イエスはこの間違いと戦う人でもあり、そうして神と虐げられた人々の側に決然と立ったのです。
ユダヤの宗教家からすれば、まさか自分たちが『約束のメシア』と争っているなど思いもしなかったのであり、やはりユダヤ教は今日まで彼らの喜ぶ「別のメシア」を待ち望んで来ましたし、やがてはそのような不遜な人物を担ぎ出す事でしょう。

イエスの教えられた祈りにあるように、神の『ご意志が地上でも行われる』ことを祈り求めるということは、そのご意志が行われていないこの世の状態が改められなければならず、そのために人類は『アダムの罪』を赦され、神の創造物の栄光に復帰しなければなりません。
キリストは人々の『罪の代価』を、自らの犠牲として捧げるために地に来られました。(ロ-マ5:18)
ですから、誰かが外面の義を装って見せたところで、その『罪』は残り、キリストの犠牲の前に自分が『罪人』であることを認めることにならず、かえって、自分にはキリストの犠牲は要らないと主張することになってしまいます。

そこでやはり、イエスの懐く精神とユダヤの宗教家らのものとは折り合えるものではありません。それは正反対であったからです。
ですから、両者はいずれ衝突することは避けられなかったのであり、それはイエス自らの『受けるべきバプテスマ』、つまり、受難と復活への道を進ませるものとなり、反対する者らの敵意はいよいよ高まってゆくことになるのでした。

キリストの受難、それは偶然に起こった事ではないのです。(創世記3:15)

やがて到来する終末の『聖なる者たち』の受難も、同様の道を辿ることでしょう。神からの真実の言葉は、自分の正しさに満足している人々にとっては耐え難く聞こえるからです。


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